どこゆきカウントダウンー2020ー

2020年7月24日、東京オリンピック開会のファンファーレが鳴りわたるとき…には、《3.11》震災大津波からの復興を讃える高らかな大合唱が付いていてほしい。

モンゴメリー・クリフトの『地上より永遠に』/  トランペットに魅かれたボクの青春のはじまり

-No.0506-
★2015年02月09日(月曜日)
★《3.11》フクシマから → 1432日
    (高倉健没から →   91日
★オリンピック東京まで → 1992日




◆映画らしいタイトル『地上より永遠に

 「地上」を「ここ」と読ませ、「永遠」は「とわ」、『地上〔ここ〕より永遠〔とわ〕に』という、題名からして映画らしい、もちろんかつてあった懐かしき時代の…。タイトルに心がときめいた。

 1951年この映画が公開されたとき、ボクはまだ6歳。だから、きっと中学生になってからリバイバル公開されたのを観たのダ。銀幕(スクリーン)に心魅かれはじめ、学校よりも「映画館が教室」だったのダ。

 舞台はアメリカ、ハワイのホノルル、1941年夏、太平洋戦争開戦前夜の頃。
 スコフィールドのアメリカ軍基地に、一人のラッパ手(モンゴメリー・クリフト)が転属してくる。
 じつはミドル級のボクサーとして活躍、有望視もされていた彼は、練習中にみずからの拳で親友を失明させてしまったことで、拳闘に訣別。それが転属の理由でもあった。
 ところが、ここでも彼を待っていたのはボクサーとしての期待。“拳”の栄誉に固執する中隊長の理不尽な命令を、“妥協”することを知らない若き兵士はきっぱりと拒絶、そこから孤立無援の泥沼にひきずりこまれ、嫌がらせとシゴキの荒波にもまれていく。

 映画としては、直属の上官で彼に好意的な軍曹(バート・ランカスター)と、中隊長に失望した夫人(デボラ・カー)との恋が並行して描かれ、(当時は)衝撃的と騒がれた波打ち際のキスが話題になったりしたけれど、この映画の制作意図、主題は一兵士の青春像にあったのだから、あくまでもこの作品はモンゴメリー・クリフトの『地上より永遠に』なのだった。

 モンゴメリー・クリフトという(俳優というより)男は、すぐれた体格・体力に繊細な神経がおさまりきらず、悩んだ末に弾けてしまうというタイプ。ぼくは、そんな彼にスクリーンで出逢い、ボクの青春を彼に寄託して映画を観たのダ。

 軍隊という特殊で、それゆえに歪〔いびつ〕でもある世界。そこで、彼のただ一人の親友であり、やはり組織におさまりきれないイタリア系アメリカ人の小柄な兵士(若き日のフランク・シナトラ)が、軍隊の歪さを体現したような営倉(軍隊内の拘置所)長のイジメによって命をおとす。

 彼の死を悼んで、中隊広場に立ってラッパを吹く、モンゴメリー・クリフトの目ににじむ無念の涙…。ラッパの見上げる空は無心に高い。
 スクリーンに見入るボクもまた、この余韻嫋嫋、天上に響くラッパの音に目をうるませ、涙がこぼれるのを懸命にこらえていた…。

 映画はこの後、親友の命を奪った営倉長に借りを返すこと(報復という結果)になったモンゴメリーが中隊から行方をくらまし、恋人の部屋にかくまわれているときに、12月7日の真珠湾奇襲があって日米開戦。
 人間性を踏み躙る軍隊の理不尽さに憤りながら、それでもなお軍隊を離れることができない(魅かれるものがある)彼は、ひそかに基地に戻ろうとし、おなじ中隊の兵士によって不審を見咎められ、射殺されてしまう。

 スクリーンにENDマークがあらわれても、ぼくはシートに深く腰を沈めて涙にくれ、あのラッパの音を〈地上より永遠に〉追っていた…。

 モンゴメリー・クリフトは、“矛盾の総体”を生きた。
 『地上より永遠に』では、フレッド・ジンネマンが監督賞、フランク・シナトラが助演男優賞など8部門アカデミー賞に輝いたけれど、彼は主演男優賞にノミネートされただけだった。

 モンゴメリー・クリフトの出演映画でぼくが観たのは、ほかに『陽のあたる場所』(1951年、ジョージ・スティーブンス監督、エリザベス・テイラーと共演)と、『ニュールンベルグ裁判』(1961年)だけ。
 上流階級への階段を踏み外す青年を演じた『陽のあたる場所』でも主演男優賞の候補にあがり、『ニュールンベルグ裁判』でも助演男優賞にノミネートされながら、ついに受賞することはなかった。

 健康上の問題もさまざま抱えこんだ彼は、悩みも多かったのだろう、せっかくのチャンスの話題作や大作への出演を断ったことも多く、『エデンの東』もそのひとつ。
 1966年に45歳で亡くなっている。

 ともあれ、『地上より永遠に』の時代背景となった太平洋戦争の、その戦後すぐにぼくは生まれている。
 西部劇からはじまり、そして西部劇のそれよりも深く沁みたこの映画のラッパが、ぼくにトランペットやサキソフォン金管楽器への憧れを掻き立てたのだけれど…。
 ぼくの小・中学時代、学校の音楽室にそんな欧米先進の楽器は極稀な存在であり、ぼくはついに鉄琴を敲かせてもらうことしかできなかった。

 「らっぱ」。漢字の「喇叭」にも金管楽器らしい響きがあるけれど…。
 わが国語の表現には「乱波」あり、これは「あらくれ者」とか「無頼漢」のこと。とくに関係はありませんが、ぼくは、この言葉も好きデス。