どこゆきカウントダウンー2020ー

2020年7月24日、東京オリンピック開会のファンファーレが鳴りわたるとき…には、《3.11》震災大津波からの復興を讃える高らかな大合唱が付いていてほしい。

煮詰まった“怨恨”は何処へむかうのだろう…/    ニッポンもテロの標的にされるときがきた

-No.0498-
★2015年02月01日日曜日
★《3.11》フクシマから → 1424日
    (高倉健没から →   83日)
★オリンピック東京まで → 2000日






イスラム国が後藤健二さんの命を奪った

 戦後70年のことし、はじめの一月がたって、「煮詰まってしまった…かな」という、なんとも鬱陶しい不安な感じを抱いていた。そう、心音がとくとく高まるような。
 折を見て、そのことを話しておかなければ、とも考えていたところだった。

 人質事件の推移は、昨晩までの時点で。
 後藤さんをめぐる“命の交渉”が膠着し、でもカードはまだテーブルにある…と思いたかったけれども、やっぱりカードは破られてしまった。
 悲報は、けさ早くのことだった…。
  
 20日の身代金要求から始まった一連のうごきのなかで、つまるところ(誰もわかってはいない)ことが気がかりでした。
 イスラム世界や中東情勢に詳しいとされる方々が、連日、さまざまに分析や解説や推測を語っておられたけれど、その誰もが、イスラム国のほんとうのことは知りませんでした。知り得なかったんだと思う、きっと後藤さん自身も。

 結局、これまでの世界情勢の見方と、おなじ観点でしか見ることができかったんだと思う。
 じつは、ぜんぜんチガッタんですよね、繰り返し繰り返し煮込まれつづけた“怨念”が、とうとう鍋にこびりついて剥がれなくなるまで煮詰まってしまっていたのに、誰も気がつかないか、気づいても言うことができなかったんでしょう。

 煮詰まってしまった“怨恨”は、「話せばわかるだろう」とか「同じ人間なのだから」とかのレベルとは、まったく別次元のところまでいってしまっていた。
 なにが、そうさせてしまったのか。
 けれどもそれには、てんで気づかないか、気づかないふりしてやりすごしてきました、ずっと、政府も、メディアも、大衆も、世界中の…。

 まちがいなくテロの起爆装置になった、アメリカのグアンタナモ収容所。そこに拘束、収容されたイスラム系の人々におこなわれた拷問など、非人道的な酷い仕打ちの象徴がオレンジ色の囚人服。
 それが報復の儀式にも使われた、彼らはホンキだった。
 (ボクには、こんな表現力しかないんだろうか、ホンキだなんて…でもしかし、ほかには言葉が見つからない、やっぱりホントにホンキというしかない)
 なのに、そこまで深刻にはうけとめきれませんでしたね、世界中の誰もが…。

 そうして、もうひとつ。
 こうなったとき「国は頼りにならない」ことも、はっきりしました。
 ざんねんながら個人の命なんかより、国の事情とか政治的なメンツとか、国家間の約束なんかが優先される。
 それって、やむをえないこと、ですかね。国って、なんですかね。

 戦後70年のタイミングで、たしかに煮詰まってきてますよ、日本も、世界も。
 ヌーベルヴァーグとかニューシネマとか、かつての「ドリーム」は、いまや「バッド・ドリームですもんね」。
 ヴェトナム戦争があって、湾岸戦争を経て、アメリカの同時多発テロにいたって、しかもなお、このままいけばいずれ鍋のスープが煮詰まってしまうことに、気づかないふりをしつづけた、結果がいま、ここにある。

 テロなんて行為が許されないことは誰もが知っている、けれどもそれが、これまでにもいろいろなところで繰り返されてきたことも、やっぱり誰もが知っている。
 救いのない“報復の連鎖”を断ち切れるのは次の世代の子どもたち、彼らに学んでもらうしかないことも、大人なら誰もが知っていながら、やはりあいかわらず、その子どもたちを苦境に追い込んでしまっている、ぼくたち。
 後藤さんが伝えたかったことも、きっと、それだった思います。

 新人類なんて呼ばれる若者世代の登場に、なんとなく感じてきた危なっかしさ脆さが、煮詰まっていま、ヘイトスピーチになって跳ね返ってきているような気もします。
 もっとも大きな不安を将来に抱く若者たちから始まって、世の中にひろがりつつある苛ら苛ら感、煮詰まった鍋の焦げが醜いぶつぶつ塊になろうとしている、いま、このとき。

 2011年3月11日、東日本大震災の烈しい揺動から受けとったのと同じメッセージを、ぼくはきょう、ふたたび受けとりました。


 …………………(ここでしばらく中座)…………………


 いつもの床屋さんで、さっぱり散髪してもらってきました。
 (こんな一大事に遭いながらナンダロウこの日常性は…)と、じぶんを怪しみながら。
 でも、おかげで気もちはキリッと、ひき緊まりました。

 「平和ぼけ」がありがたい日本人、ですけど。
 この生きて在る命の、愛おしい緊張感だけは、忘れちゃいかんだろう。
 と、ぼくは思ってます。