どこゆきカウントダウンー2020ー

2020年7月24日、東京オリンピック開会のファンファーレが鳴りわたるとき…には、《3.11》震災大津波からの復興を讃える高らかな大合唱が付いていてほしい。

けっして返事をくれないあなたへ…/       ことしの年賀状にも片をつけました

-No.0496-
★2015年01月30日(金曜日)
★《3.11》フクシマから → 1422日
    (高倉健没から →   81日)
★オリンピック東京まで → 2002日

後藤健二さんの〈その後〉が混迷を深めている。さまざまな情報、まつわる付属情報や余談、分析・観測・憶測が無差別にとびかって。マスコミの報道、さまざまなメディアを通じての個々人のメッセージもふくめて、動けば動くほど“アリ地獄”が大きく深くなっていく。(残念ながら、このボクもふくめてのことになってしまうが…)やかましい、と思う。こういうときに、深い関心を抱きながら、懸命に耐え、ジッと黙して見守ることはできないものか…*




◆この正月の「年賀状」が、ようやく片付いた

 「お年玉付き」年賀はがき、当選番号の発表があって、ひととおりの行事がすんで。
 書き損じと未使用のハガキを、発展途上国の児童教育を支援するボランティア団体に寄付して、一件落着。
 郵便局からの「お年玉」に期待があるわけじゃないけど、ちゃんと番号の確認はする、 習慣になって長年月がすぎて、今年も末等の切手シートが数本…。

 ぼく、いまは、住所録を兼ねた郵便はがき作成ソフトを使って、やりとりの管理をしています。
 各人のメモ欄に、「送る」と「受けとる」に「〇」か「×」、それに敬弔で中断の「-」…これが年とともにふえつつあって。

 あと賀詞の交換をしない「■」。
 この扱いに、ケッコウ気疲れがあるんですね。
 はじめっから「■」ならいいんですが、何年か交換をつづけて「もう、いいかな」、「やめたほうが、おたがいのためかな」、「むこうでも、おなじこと思ってないかな」って、ちょっと悩む。

 そんな相手が、毎年、何人かあります。
 ためしに「送る」を「×」にしてみて、そのまま「■」になることもあれば、にもかかわらず「受けとる」方が「〇」になって、お返しに「送る」を「〇」になんてこともある。
 とうぜん、その逆(相手の思惑)もあるわけですよね。ちょっと悩ましい。

 ずっと以前に、知人からオモシロイ提案を受けたことがあります。
 (前述のような悩ましいことがあるので、それは避けたい…)ついては「年賀状のやりとり、やめにさせてもらえませんか…」と。
 (それも、いいかな)と思って「×」にしたら、それっきり、ほかの連絡もすべてなくなって、やがて、その人の名は住所録からも消えていきました。

 じつは、彼のねらいはそこにあった、のならいいんですが…。
 人生って波が激しいもんだし、人間なんて気分屋なもんだし…。

 ぼく、かつては300枚を超える年賀状をやりとりしてました。
 年賀状を廃止すべき虚礼とは思っていません。けれども、さすがに荷が重すぎて、これまでに2度ほど、減量の大ナタを振るったことがありましてネ。

 いまもやりとりしているのは、その歴史をのりきって続いている方々、というわけで、煮詰まっているんです、悩ましさはますばかりですが…。
 また、今年の暮れも、幾人かについて「〇」か「×」かを迷うことになるのでしょう。

 ハイ。もちろん。
 ぼくは、手書きの便りしたためることは、気もちを伝えるのに、とてもたいせつなことだと思っています。
 メールに(あれこれ工夫してみたって結局)行間はありませんから。
 余白もありませんから。
 相手への想いは、そういったものも含めた紙の上に、あふれますから。

 ぼくは、けっして返事をくれない相手(あなたデス)から、葉書一枚でも、もらえるようにするにはどうしたらいいか…のくふうを、アレコレ考える日々です、これからも…。