どこゆきカウントダウンー2020ー

2020年7月24日、東京オリンピック開会のファンファーレが鳴りわたるとき…には、《3.11》震災大津波からの復興を讃える高らかな大合唱が付いていてほしい。

あれは「諷刺」じゃなくて「差蔑」でしょ/    フランスの諷刺週刊紙「シャルリエブド」

-No.0484-
★2015年01月18日日曜日
★《3.11》フクシマから → 1410日
    (高倉健没から →   69日)
★オリンピック東京まで → 2014日



 お待っとうさんでした、本日から再開させていただきます。

 じつは、ぼくの(デスクトップ)パソコンの修理はディスクドライブの交換のみで済み、思いのほか早く13日には帰宅、再設置、リスタートまでできておりましたが。

 せっかく頂戴した「お休み」ですから、これはもぅほんとに、ありがたいこって…と思っていたら、とんでもない、そうは問屋が卸してくれませんで。

 年明け早々に亡くなった叔父さんの、14日が通夜で、15日告別式。
 なんやかや…あって、翌日いっぱいは気の鬱〔ふさ〕いだままに寝転んですごして。

 昨日は昨日で、阪神淡路大震災から20年。
 友人が被災したこと、でもボク自身はほとんどなにもできなかったこと、あのときが日本の“ボランティア元年”であったことなど、考えて一日がすぎ。

 パソコン故障中のメール対応などもあったりで。
 ……ちゃぁんとネ、再開までの帳尻は間に合うようになっておりました。

 その間に、フランスで銃撃テロ勃発。
 

◆「シャルリエブド」あの諷刺画は、やっぱり…イケナイと

 
 見たとたんに、ズキンと痛かった。
 イスラム教徒でもない、仏教世界の男にもです。
 諷刺って、「遠まわしに」とか「それとなく」とかって、そういう少しは遠慮がちな態度のものだと思ってましたけど。
 フランスとかのヨーロッパ圏では、だいぶ事情がちがうんでしょうかね。

 すぐに、それこそ「打てば響く」ように、何万人かが参加して連帯を表明するデモがあって。
 「わたしはシャルリ」だ「表現の自由」だ、って。
 それはいいけど、態度が、こっちもかなり鼻息があらくて、ずいぶん暴力的だった。

 ぼくは、あの絵から「侮蔑」を感じました、「差蔑」といってもいい。
 「差別」にくらべて、段違いに手酷い「差蔑」だと。
 おたがいに素手での喧嘩のはずの、相手の手にはこっそり凶器が隠し握られていた…みたいな。
 「抜き身」の「差別」。
 あと味、よくなかったです。

 それより、なにより、だいいちに。
 初めっから見下してかかってるんですから、明らかに「上から目線」で。
 「おくれてやがる」とか「劣った奴ら」とかって、きめつけてる。

 そんなに、じぶんたちは、自分たちだけは大したもん…なんでしょうかね。
 イスラムの人たちには理不尽な、ふつうの人たちにも耐えがたいことだったでしょう。
 そのへんの思いやりに、まったく欠けてました。

 報復があった後の最新号でも、その表現態度をあらためる気振りも見せず、侮蔑・差蔑で発行部数をのばす諷刺紙の、諷刺画家は「われわれが目指すのは笑いだ」とかいってましたけど、その顔には苦笑いもなく、ひきつってましたね。
 それがスベテ…じゃないでしょうか。

 日本人も、(もちろんボクも含めてですけど)けっこう熱くなるところ、ありますから。
 気をつけないと…イケナイ、アブナイ…気がしています。

 年明け早々から、毛髪を燃やされたみたいな焦げ臭さ、きな臭さ。
 寒くても、ふるえても、いい空気に入れかえたいですね。