どこゆきカウントダウンー2020ー

2020年7月24日、東京オリンピック開会のファンファーレが鳴りわたるとき…には、《3.11》震災大津波からの復興を讃える高らかな大合唱が付いていてほしい。

「千本松原」文化財の保存か、救難の“命山”造成か/ナゼ揉める…どちらも固陋なガチンコ対決色

-No.0458-
★2014年12月23日(火曜日、天皇誕生日
★《3.11》フクシマから → 1384日
    (高倉健没から →   43日)
★オリンピック東京まで → 2040日

*「STAP細胞はありまぁす」は、なかったらしい。なんで、なんで、どうして…謎は、ナゾナゾ。核心の小保方晴子さんは理研を退職。これで、灰黒色の雲塊がまたひとつ。すてきで、やっかいな人間のあるかぎり、やむをえないか…な。関係者が亡くなった何十年か後に真相が語られることになるのだろう。その頃には、ボクはもう生きてない*




◆「のこさにゃならん」ですか…

 きのう、国立競技場の壁画をどうすべきか、考えたときに、もうひとつ。
 「のこしたい」のか「のこさにゃならん」のか、参考にしたい別の好例があった。

 静岡県沼津市
 狩野川河口の沼津港から、駿河湾沿いにおよそ10キロにわたってつづく、ざっと10万本以上という黒松林の景勝「千本松原」。
 その一部、市有地のクロマツを伐採して造ろうと計画されたのが、災害避難の“命山”。

 “命山”については、先にボクは、遠州灘の例を実見してきている。
 2013年11月1日記事「(イザどうする…)気にかけるきっかけ“命山”」
http://blog.hatena.ne.jp/sashimi-fish1/draft-scat.hatenablog.com/edit?entry=12921228815711513034

 山が海ぎわまで迫るリアス海岸とは別に、平坦な浜の広がる地域では、長大な防潮堤の造成より“命山”づくりの方がずっと現実的だ。

 沼津内港で想定される津波高7.4メートルに対して、約4,200平方メートルの市有地に高さ15メートルの“命山”を築き、いざという場合には最大500人の避難者を収容する。
 そのために伐採予定のクロマツは約150本(なるほど数は知れたもの)。
 この計画に自惚れた市は、まさか反対に遭おうとは思ってもみなかったろう、説明不足どころか、ぶっつけ本番でいくつもりだったと見える(まったくアマい…時代錯誤もいいところダ)。

 さて、着工後に伐採計画を知り、異議を唱えて立ち上がったのが「沼津牧水会」。歌人若山牧水の顕彰会だ。「一本たりとも伐っちゃぁならない」旨の要望書を提出、反対の署名活動を展開。
 あわてた沼津市は、あらためて伐採本数を90本に減らして切り抜けようとしたが(これもマズい…不審の火に油を注ぐことになった)。

 さらに過去には、この富士を仰ぐ千本松原の景勝に惚れこみ移住してきた若山牧水その人が、大正期にあった静岡県による松原の一部伐採計画の反対運動にのりだし、計画を中止においこんだ実績があった。
 こんどの反対運動も、この故事にならっている。
 反対運動は、伐採せずに植え替えるべきだ、と訴えている。

 そこで、岡目八目にボクは想う。
 景勝としての松林、また防風防砂の松林は、心づよい味方に違いないが、津波の防災としては心もとないことが、《3.11》の岩手県「高田の松原」全滅などで明らかになっている。
 また黒松という樹が、いったん根づけば塩害にも力づよいけれども、根づかせるまでに手間ヒマのかかることもある。マツクシムシによる枯死の連鎖も深刻だ。

 くわえて、なるほど一時代をきづいた“松林の景観”ではあっても、時の流れ、人々の意識の変化に、果たしてどこまで耐えられるものか。
 なにがなんでも「のこさにゃならん」というのも、固陋にすぎはしないだろうか。

 クロマツの難しい植え替えにこだわるよりも、新しい苗木から育てて将来の更新を目指すほうが賢いのではないか…。
 《3.11》後の復興に、「木の防潮堤」構想を提唱した植物生態学の先生にアドバイスをいただいて…仕切り直しの行方が案じられる。

◆「愛(アガペー)の像」には生きのこる道

 いっぽう、20日に100周年を迎えた東京駅。
 駅舎復元工事で、いったん撤去されていた「愛(アガペー)の像」は、再整備後の丸の内駅前に(場所は変わるが)再設置されることになった。

 さきの大戦の戦時中、戦地におもむく若人と家族の別れの場になった東京駅に、戦後、平和を願って建てられた像。
 戦後70年の時を経たいま、「のこる」のか「のこらない」のか微妙な状況のなかにあったと思うのだが、生きのこることができた。
 関係者の努力、受け容れる側の度量ともに、人並みはずれたものがあったろうと思われる。
 人のすること、どんな価値観にも、けっして絶対はありえない…これだけが確かなこと。