どこゆきカウントダウンー2020ー

2020年7月24日、東京オリンピック開会のファンファーレが鳴りわたるとき…には、《3.11》震災大津波からの復興を讃える高らかな大合唱が付いていてほしい。

浜離宮から「オリンピック・レーン」の橋を見た/  災害時の避難路としても期待される「環状2号線」

 -No.0345-
★2014年09月01日(月曜日)
★《3.11》フクシマから → 1271日
★オリンピック東京まで → 2153日






◆隅田川橋梁(仮称、勝どき~築地)を浜離宮から

 今年5月に、橋桁を架ける工事を終えたと報じられたときから、環状2号線ポイントの架け橋を見ておきたかった。

 といっても、工事中の現場周辺には近づきにくいし、視野が遮られることも必至。
 隅田川に架かるこの橋は、これまでもっとも東京湾に近かった勝鬨橋(晴海通り)よりも、さらに河口寄りになる。
 (水上バスに乗れば、いちばん確かだろうがな…)
 ふと、その水上バス乗り場がある浜離宮恩賜庭園の場所柄が、脳裡にひらめいた。
 (橋は両岸よりも高い所に架かる、あそこからなら見えるかも知れない)

 8月の酷暑つづきが一段落、涼風がうれしい30日に行ってきた。
 浜離宮庭園の東端、〈水上バス乗り場〉と〈将軍お上り場〉の間に盛り上がる松林の丘から、間近にその橋を見ることができた。
 ごくあたりまえの半円アーチ橋、さほど大きくは感じられなかったけれど、それでも長さ120メートル(全長は245メートル)ある。
 折から通りかかった水上バスが、カメラのフレームを横ぎって行く。浜離宮庭園は、隅田川とは築堤と水門で仕切られており、水上バスは水門を通って行き来する。

 動く気にもなれなかった夏場の運動不足解消と、メタボ用心もかねて園内隈なく歩きまわり、潮入の池・中島の御茶屋で冷たい抹茶をいただく。
 高校生の頃、デートコースの想い出のこる緑樹の園路を、いまは老夫婦や外人観光客たちがそぞろ歩いて、周辺ビル群の景観も含め、むかしとはやはり隔世の感がある。
 
 大手門口を出ると、大規模な再開発で知られた潮留界隈は、いま見てきたばかりの橋からつづく〈環状2号線〉道路工事の真っ最中。疾走する車の群れに圧倒され、人はみな遠慮がちに足をいそがせていた。

◆「環状2号線」のこと

 〈環状2号線〉はこの先、新橋駅烏森口の南から「新虎通り」になって、正面に話題の虎ノ門ヒルズ。
 新虎通り(1350メートル)が、この道路開発のいわばメインスポットで、道路本線は地下を通るため地上にはゆとりの空間が出現、幅13メートルの歩道を活かして「日本のシャンゼリゼ」にと呼び声も高い。

 しかし、これまでにあった「日本の〇〇」(あるいは「東洋の〇〇」とか)が、どれほどのものであったか。こんどはどうか期待を裏切らないでほしい。「銀座」は「ギンザ」で通る日本の顔ではないか…と。
 まぁ、それはともかく。

 この〈環状2号線〉の計画は、戦後すぐの1946(昭和21)年からあった。
 有明江東区)から神田佐久間町(千代田区)まで14キロの都市計画道路は、しかし商家住宅の混在密集する地域で、住民のつよい反対もあり、法的な制約もあって長いあいだ膠着状態。現実に日の目を見た区間は、虎ノ門から神田佐久間町までの外堀通りだけであった。

 別名を「マッカーサー道路」ともいわれたのは、彼の発案によるわけではなく、道筋がアメリカ大使館に通じていたからである。そのへんの経緯については、近くの私学に通っていた頃、ボクも友だちの誰かから聞いて知っていた。
 時移っていま、長い間のネックになっていた法整備「立体道路制度」ができて、道路と建物を一体として取り扱えるようになり、ようやく実現にこぎつけた…というわけである。

 この〈環状2号線〉の話題はもっぱら「和風シャンゼリゼ」と、2020オリンピックの選手村と各競技会場とを結ぶ“オリンピック・レーン”に集まっているけれど。
 いくら「オリンピック」だ「パラリンピック」だと大騒ぎしたところで、いずれ一時のお祭りにすぎない。だから。
 ぼくは、この道の別な効用、災害時の避難ルート(ふだんは併行する晴海通りの渋滞緩和もある)としての働きが、期待どおりになるかどうかに関心がある。
 それと、築地から移転する豊洲新市場がらみの物流も。

 ポイントの「隅田川橋梁」が通行できるようになるのは、2016(平成28)以降だそうだ。




*写真=上段、(上)は浜離宮庭園から環状2号線の隅田川橋梁を望む、(下左)は潮入り池中島の御茶屋・向うは有明方面、(下右)は富士見山から潮入り池・向うは銀座方面*
*写真=下段、(左)は環状2号線“シャンゼリゼ通り”虎ノ門ヒルズ前のカフェ、(右)は潮留ビル群の芒秋*