どこゆきカウントダウンー2020ー

2020年7月24日、東京オリンピック開会のファンファーレが鳴りわたるとき…には、《3.11》震災大津波からの復興を讃える高らかな大合唱が付いていてほしい。

石巻…門脇小学校跡と日和山のこと/      《3.11》2014夏の巡礼・6日目・8月5日①

-No.0332-
★2014年08月19日(火曜日)
★《3.11》フクシマから → 1258日
★オリンピック東京まで → 2166日






◆8月5日、火曜日、朝

 「いしのまき寺小屋」での“夏休み教室”2日目。
 子どもたちが〈勉強の時間〉の午前中に、ボクたちはいつもの〈巡礼〉。

 来春で統合・廃校になる門脇小学校跡を訪ねてみようと思った。
 車のナビに行き先をインプットすると、「寺小屋」からも近いすぐ隣り町、泉町の高台へと導かれ、そこは門脇中学校の敷地。

 校庭の一郭にプレハブの校舎があって、現在の門脇小学校はここに仮寓していたのだった。
 《3.11》後、カー・ナビはしばらく、震災前の在所を表示しつづけることで混乱を回避してきた。おかげで未知の土地に迷いやすい訪問者たちも、助かったりしていたのだが…。
 それも3年半で、復興モードに切り替わりつつあるようだった。

 道を教わって丘を下り、海側へとまわりこんで行くと、門脇小学校跡は…まさしく〈対津波最前線〉といっていい位置にあった。
 海岸からの距離、1キロたらず。
 遮るものなし。

 そこは、すでに何度も通りかかって見知った場所、慰霊の献花台があったところだが。
 そこが門脇小学校のあったところとは、知る寄る辺もない瓦礫のなかだったことを想いだす。

 いま、遺された校舎の壁には崩落防止のネットが被せられ、グラウンドは整地されて学童野球の練習に利用され、周辺の道は別の運動クラブのランニング・コースになっていた。
 まだ復興の姿が見えてこない、がらんとした空地にも、人々の日常は徐々にもどりつつあった。

 日和大橋の架かる河口海岸部の浜に出てみると、ごくふつうの(人気のない)夏の海。
 振り返ると、(えっ、あれが…)びっくりするほどに日和山が近かった。
 門脇小のすぐ前あたりから現在の浜にかけては、埋め立ての造成地であることは明らか。
 ここにはかつて、仙台の貞山堀のような運河も開かれていたという。
 南浜町の辻には、善海稲荷神社の石の祠が、枯れた松の老樹の陰に傾きかかっていた。
 そこからも、門脇小学校のすぐ背後に日和山が望める。

 ぼくはすでに、日和山に2度も上っていながら、この山の存在感がいまひとつ頼りなかった。
 大きさも、じつはそれほどには、感じられていなかった。
 これまでは、通りすがりであった、からだろう。
 こんどは、まがりなりにも少しは滞在者の眼で見ることができる。

 その、焦点の合ったことを確かめに、門脇小跡脇から日和山へと上がった。
 別ルートで住宅街を辿って行く道は、この山の、実際の大きさにもより増して、住民の心に与えている信頼感の深さをリョウカイさせた。

 そうして、また、いつもの展望地に立った。
 おなじ眺めに違いはなかったが、心眼には海がグッと身近に見えていた。
 ぼくはいま、本来あるべき姿の“日和山”に立っていた…。





*写真=上段、(上)は浜の海岸道路から日和山を望む・左端に門脇小学校跡が見えている、(下左)はランニング・コースになっている門脇小跡前の道、(下右)は門脇小グラウンドから見る海岸方面のいま*
*写真=下段、(上)は南浜町の辻の善海稲荷神社、(下左)老樹の下の祠脇にも門脇小跡が見えている、(下右)は石巻の外港と内港の間に広がる浜*