どこゆきカウントダウンー2020ー

2020年7月24日、東京オリンピック開会のファンファーレが鳴りわたるとき…には、《3.11》震災大津波からの復興を讃える高らかな大合唱が付いていてほしい。

子どもたちのエネルギーにボク燃えカスとなる/《3.11》2014夏の巡礼・6日目・8月4日

-No.0331-
★2014年08月18日(月曜日)
★《3.11》フクシマから → 1257日
★オリンピック東京まで → 2167日

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◆「いしのまき寺小屋」で木工教室

 子どもたちが、まず、とびついたのは〈輪っか〉だった。
 ボクが用意していった、太い丸棒を輪切りにしたのに、やっぱり、興味を惹かれた。
 子どもは、動くものにヨワイ。
 素直にドウブツ的なところが、いい。
 木の〈輪っか〉には、中心に穴を開けておいたから、これにクギを通せば回る。
 子どもたちは、選んだ板っきれに4輪をつけて転がす。
 ただ、〈輪っか〉の取り付け位置が4輪まちまちだから、ヨタヨタする。
 それを指摘してやると、付け直し調整して、こんどはスムースに転がる。
 「やったぁ!」
 しばらくは、それで遊ぶ。
 「木工教室」が始まった、それぞれが自分の好きなモノを作る〈自由工作〉。

 もちろん、はじめに木と材のこと、カナヅチやノコギリなど道具の使い方を話した。
 「刃ものの先を相手に向けちゃいけない」とか。
 怪我をすることも考えられるからだが、最近の子たちは、概してオトナシイというかワキマエていて、ぼくらがガキの頃のように危なっかしいことはない。これは、どこでもそうだ。
 そのかわりに、ストレスがたまりやすく、捌けにくい。
 被災地の、かぎられたスペースの仮設住宅暮らしでは、〈遊ぶのが仕事〉の子どもたちに負担が大きい。親たちには近隣への遠慮があり、子どもたちもそれを心得ている。

 このたび「いしのまき寺小屋」での木工教室では、事前に、そのへんの相談がなされた。
 ナニかを作りあげることよりも、日ごろ溜まったエネルギーを遠慮なく発散させてやることを主眼にしよう。
 ぼくは、大きめのプラ・ケースに3つほど、厚さも幅も長さもいろいろ、形も大きさもさまざまな板材や棒材を用意していった。
 わが工房やカルチャーセンターの教室で、心がけて集めておいた木切れだが、中身は濃い。
 国産の無垢のヒノキ材・スギ材に、違いがワカルように輸入材も混ぜておいた。




 子どもたちは、これらの材料のなかから好きなものを好きなだけ使って、作りたいものを作る、作りたいモノがなければ、切ったり叩いたり、だけでもいい。
 4輪の、動くオモチャ作りにひとまず満足すると、子どもたちは〈次〉にとりかかる。
 いま、はじめて気がついたように、ヒノキ材の香りを嗅いでいる子がいる。
 (いいゾ)
 しかし…子どもたちには、情緒よりも実利であった。

 これまでの「木工教室」でボクは、オトナたちとも、女性たちとも、子どもたちとも経験を重ねてきたわけだが。それでワカッタのは、いずれにしても持ち味それぞれの個性であること、上手に程度の差こそあっても不器用はないこと。
 なかでも子どもの個性は思いがけないことが多くて、自分の頭に想い描く物語り世界を木で表現することに熱中する女の子や、四角い板から円形を切りだすだけで満足な男の子など、多彩であった。

 この日は、ひとりの子が「カードを入れておく箱を作る」と宣言して、流れがきまった。
 みんなカードが好きだった。宝物はだいじに、しまっておきたい。
 ボランティアの学生さんたちが、お手伝いの守り役。
 箱作りには寸法あわせが必要だから、ノコギリ仕事が多くなる。
 ところが、大工道具は子ども向きに(女性向きにも)できていないから、使いこなすコツをつかませるのに苦労させられる。



 手をとって一緒にノコギリを使うと、子どもに覆いかぶさるような体勢になる。
 子らの高い体温がじかに伝わってくる。アツい。
 おまけに、思いのほかセッカチな子が多い。これも、どこでもそうだ。
 早く手を進ませようと気が急くから、ますます体温が上がる。
 ぼくの方が先にくたびれてきて、「少し休もうか」と声をかけえも、どこ吹く風だ。

 箱にフタを付けて仕上り、お八つのキャンデーしゃぶって、ようやく子どもたちの体温は少し下がったようだった。
 もうヨレヨレのぼくは、隅っこにへたり込んで考えた。
 「木工教室」に、中学生の参加がなかった。
 おおきな女の子たちも、カナヅチやノコギリには興味がなかった。
 参加したのは小学生、それも低学年ばかりだった。 

 これも、近ごろはどこでもおなじ。
 道具が使いこなせるようになる年ごろには、すでにモノ作りに興味のなくなっている子が多い。
 ナニか、誘いこむ工夫が要るのであろう。
 どこかシラケたような彼らを夢中にさせてやりたい。
 被災の現実はオモイかも知れないけれど、いまから好奇心を卒業してしまったら、これから先の短くはない人生が退屈ではなかろうか…。