どこゆきカウントダウンー2020ー

2020年7月24日、東京オリンピック開会のファンファーレが鳴りわたるとき…には、《3.11》震災大津波からの復興を讃える高らかな大合唱が付いていてほしい。

七ヶ浜と宮戸島が自然の“減災堤”になった/《3.11》2014夏の巡礼・1日目・7月30日②

-No.0324-
★2014年08月11日(月曜日)
★《3.11》フクシマから → 1250日
★オリンピック東京まで → 2174日





◆“松島”が《3.11》後のポイントだった

 まず地理的にいって、仙台〈まで〉と〈より先〉では、心理的にも実際にも大きに違った。
 地形的にも、陸前までの変化の少ない海岸線と、陸中から陸奥にかけてのいわゆる“三陸”リアス海岸とでは、大きに事情が異なる。
 被害のありようも、復興にむけての対応も、違った。
 その岐かれ目に、松島があった。

 地図を見れば明らかなように、松島は箱庭のような多島海だ。
 江戸の頃には「松島九十九島」と呼ばれ、実際にはもっと多い260余りの島々からなり、南西の七ヶ浜半島と、北東の宮戸島とに抱かれている。

 その大小とりまぜた島々が、《3.11》の大津波からの減災に大きに役立った。
 それは、人工防波堤の抵抗よりもはるかに効果的であった。
 島にあたった津波は、そのたびに破壊力を半減また半減され、海岸に達したときにはすっかり威力を殺がれて、家々を押し流すほどではなくなっていた。
 仙石線の「松島海岸」駅も無傷に近かった。

 庶民文化的にも、〈松島〉と〈その奥〉とでは、明らかに違った。
 《3.11》後の松島には、宿・店の常連客や合宿で交流のあった学生たちなど、多くの支援者が参集し、復興の手助けになった。
 もとより観光地の地元もまた、それゆえの〈人あしらい〉のよさにそつなく、逸早くボランティアの受け入れ態勢をとることができた。
 他の沿岸市町村が、慣れない都会人ボランティアの受け入れ、対応に戸惑い、遅れをとってしまったことを思いくらべると、その違いも大きかった。

 仙台からの仙石線が、松島までの線路はほとんど海岸を通っていなかったことも幸いしたが。
 ともあれ、こうして何処よりもはやい復興をはたした松島は、いま、周辺他地域への支援にのりだそうとしている。
 
 ……と、まぁ、こんな具合に、多くの示唆に富む。
 「松島や ああ松島や 松島や」であった。

◆七ヶ浜の「津波てんでんこ」

 多賀城から、七ヶ浜は指呼の間。
 多島海“松島”を抱く位置にあって、この半島はかわりに津波の直撃を受けた。
 海水浴と好漁場の浜つづきは、ことごとく被災
 いまは復旧工事を見守るしかない、菖蒲田浜に遊客の姿はまだなかった。

 半島の先端、《3.11》大津波にも犠牲者を出さなかった花渕浜には、むかし沖の島が地震津波で沈んだという「大根島伝説」がある、という(松本健一著『海岸線は語る』-東日本大震災のあとで-)。
 ここにその詳述はできないが、ともかく、この語り伝えが生きていたから、浜の人々は「なにをおいても逃げる」ことができたのだ、と。
 「津波てんでんこ」は、ここにもあった。

 花渕浜からは、松島湾の島々が望める。
 ここには“松島四大観”のひとつ、「偉観」の多聞山もある。
 ああ松島や 松島や…。





◆“奥松島”にも復興の兆し

 往年の賑わいもどりつつある松島海岸を経て、北東の要、宮戸島へ。
 ここは、観光的には“奥松島”、行政区分では東松島市に属する。
 この界隈で、《3.11》大津波にもっとも手酷くやられた野蒜海岸には、新しく構築される防潮堤の高さを示す規矩標識が風を受けていた。
 近ごろ、被災各地の海岸に見られるこの風景。
 〈▽T.P+7.2m〉
 「この高さまで、7.2メートルの防潮堤が築かれる」ことを示す。
 ちなみに「T.P」は「東京湾平均海面(Tokyo Peil)=全国標高基準水面」を指す。

 宮戸島、南端の月浜。
 高台の造成地には、新築(自費)の“再出発”住宅が建ちはじめていた。市営の復興住宅も追っかけ造られていくことになってはいるが、いまは業者の手がまわらない状態だという。
 現在、仮設住宅に避難生活をおくっている住民のうち、半数あまりがこの地にとどまる見込みとのことだった。

 この日の宿りは、被災直後から訪れて来ている民宿「山根」http://www.k2f.jp/yamane/
 ここは、幸いにも難をまぬがれた。

 翌朝、波静かな浜には子どものたちの遊ぶ姿が見られ、“海水浴シーズン”も元にもどりつつあるようだった。
 ここには復興の曙光が射し初めて見える。それにしても3年半…。

(この辺りのことは前にも何度かふれている。2012-05-22「一年後の被災地巡礼(3)-女川原発・猫の島・奥松島-」http://trouble-heart.hatenablog.com/entry/20120522/1337730884、2012-05-29「一年後の被災地巡礼(4)-松島四大観・大川小学校・気仙沼大島-」http://blog.hatena.ne.jp/sashimi-fish1/trouble-heart.hatenablog.com/edit?entry=12704591929890116851を参考までにご覧ください)




*写真=上段、(左)は七ヶ浜町菖蒲田浜、(右)は同じく花渕浜*
*写真=中段、(左)野蒜海岸の防潮堤規矩標識、(右)は宮戸島月浜の仮設住宅と新築途中の家屋*
*写真=下段、(左)は海水浴客を待つ月浜、(右)は完成したばかりの「月浜みんなの家」*