どこゆきカウントダウンー2020ー

2020年7月24日、東京オリンピック開会のファンファーレが鳴りわたるとき…には、《3.11》震災大津波からの復興を讃える高らかな大合唱が付いていてほしい。

気力も萎えましたか、もう逃げてもくれませんか…/災害対策には国家プロジェクト級の決断が要る

-No.0311-
★2014年07月29日(火曜日)
★《3.11》フクシマから → 1237日
★オリンピック東京まで → 2187日




◆やりきれない無力感

 もう、しばらく前のことになる。
 7月12日、土曜日の夜明け前に、震度4(震源福島県沖)の地震が《3.11》被災地を襲った。
 東京でも揺れたけれども、もうきっと、覚えている方は少ないだろう。
 (それほどの地震列島に、ボクたちは生きている)
 そうして、沿岸部被災地でも、たぶん多くの方々は、もう忘れてしまったろう…。

 地震そのものは大きくなかったが、津波注意報が発令され、大船渡石巻が最大で20㎝という小規模ながら、観測もされた。
 岩手・宮城・福島3県の沿岸部には、あわせて2万6500人に“避難勧告”があった。

 ……が、避難所に行った人は、たった858人(自主避難を含む)だったそうな。

「おっかないよ、逃げるしかないもの」
 アノ日を想いだして、蒼褪めた老女の顔がいくつか瞼に泛んだ。
 と、同時に。
「何百年か何千年かに一度のコトだろぅ、しょうがねぇもんな」
 あきらめ顔の人も、少なくはなったことも想いだす。

 そうして、なによりもボク自身が当事者だった場合に、(たいしたことないな)と見くびる可能性を否定できなかったことも、慙愧に堪えずヤリキレなかった。

 あの大地震と大津波を経験した人々には、たしかに、トクベツな感受性が備わっているかと思われるのだけれども。
 しかし、だからといって「もう判断を間違えたりはしない」と断言できるものだろうか。
 (アノときだって、とんでもない判断ミスがいっぱいあったというのに…)

 《3.11》から3年と4カ月がすぎた。
 けれども、震災で沈下した地盤はまだそのままになっているところが多いし、湾口防波堤や防潮堤の復旧だって、まだこれからではないか。
 根拠のないマヤカシの安心は、結局(もうナイだろう)だけの楽観にすぎない。
 やはり、危機感は確実に薄れてきている。

「もう津波で逃げるのはこりごり」
 避難所に、1週間分の常備薬を持ってやってきた老人が、そう語っている。
 この言葉は真実、ナニを語っているのか。
 「こりごり」の重点ポイントは、「津波」にあるのか「逃げる」にあるのか…は、とても重要なことだと思う。

 3年4カ月がすぎた被災地は、いま、それほどに疲弊している。

◆こういうことを繰り返さないために…

 大きな災害があったとき、被災者のたどる“みち”は次のようになる。
①自家(が災害の被害を受ける)
   ↓
②避難所(へ逃げる)
   ↓
仮設住宅(に移る)
   ↓
④自家(に戻る、とはいえ元通りとはいかず、ドコにドウ戻るかもさまざま)

 とくに③から④までにかかる歳月が長く、被災者に深い心身の疲弊を招く。
 かといって、この期間を短縮する妙案もない、のが現実でもある。

 であれば、のこされる手「考えられるコトはきまっている」ではないか。
 そう、②と③の手順をなくすこと。
 いま進められている“高台移転”や“嵩上げ造成”は、あくまで災害復興。
 時間がかかっても、一段落すればそれでオシマイだ。

 それを“オシマイ”なんかにしない。
 せっかくのチャンスだ、もったいない。
 さきざきの備えに“減災”のための“移転・造成”を“継続”して行う。
 行政は、これを“不時の救援費用の前倒し”と、肝に銘じる。
 住民は、これを“災難を回避する命への投資”と、胸に刻みつける。

 宮古市、重茂半島、姉吉集落の“津波の教え”のように。
 「ここより下に家を建てるな」

 もちろん、地域の努力だけでは、たりない。
 国としての、国家レベルの、“緊要プロジェクト”にする必要がある。
 「積極的に…」なるのであれば、それは「紛争の抑止力」などではなしに、真っ先に「国のための国民のための安全」ではないか。