どこゆきカウントダウンー2020ー

2020年7月24日、東京オリンピック開会のファンファーレが鳴りわたるとき…には、《3.11》震災大津波からの復興を讃える高らかな大合唱が付いていてほしい。

牛乳“紙パック”についての深遠な考察/       やがて省エネ・省資源へと思考はすすむ

-No.0309-
★2014年07月27日日曜日
★《3.11》フクシマから → 1235日
★オリンピック東京まで → 2189日




◆ヤッテハイケナイことを、ついヤッテシマウ

 あなたには、そいうことがナイだろうか。
 悩ましくも、ボクには、それがアル。

 問題は、紙パックの牛乳である。
 パックの上、片方が「あけ口」、もう片方が別の表示たとえば「消費期限」になっている。
 どちらを開くか。とうぜん「あけ口」の方である。
 ところが、ひょいと間違えることがある。
 間違えるのは、ほとんど見ていない、手探り状態だからだ。

 紙パックの「あけ口」は、ちゃんと開けやすくもなっている。
 ところが反対側を開けようとすると、とても開けにくくできている。
 接着剤の種類を変えてあるとか、とにかく、そういう仕掛けになっているのダ。
 オカシイ気がする、そこで止めて、パックをとくと見なおせばいいのに。
 そうはしないで、無理に、力まかせにこじ開けてしまう。

 開けてしまってから、マズイ事態にハタとショックを受けて、開けなおす。
 ナニも、間違ったって口は開いたのだから、そのまま使えばいいのに、できない。
 だって、間違って開いた口は、それを嘲笑うように不様なのである。が…。
 開けなおした結果は、口が2つ、というか1つづき、シマリのない、ガバガバの、さらに醜悪な様相を呈する。
 もうしわけに、間違った方の開け口をセロテープで閉じたりしてみても、もちろん事態が好転することなど、もはやありえない。

 一度は…ならいい、たまにそういうことがある程度なら、問題はない。
 二度つづくと、(マズイじゃないか)という告げ口が、神経細胞を素早く伝わって脳に響く。
 (なにをしてるだオマエ)
 次こそは、こんどこそは失敗できない、恥をさらすな。

 そうして、三度目。
 新しい紙パックを開けるときに、(チュウイせよ)と脳から指令がある。
 「あけ口」の方だぞ、「消費期限」の方を開けてはならん。
 呪文みたいに言い聞かせつつ……しかし、なんでダ。
 指は勝手にうごいて、間違った方の口を開けてしまい、開けてしまってから(な~んでぇ)と狼狽えている。
 (アホか、オマエは)後の祭りダ。
 あとは、もうクセになってしまって、ハチャメチャの繰り返し。

 想うにコレは、まさしく強迫観念。
 強迫観念は、みずからの迂闊を戒め、また同時に、過度なストレスによる自傷行為にはならないように、自己防衛本能のスウィッチも入っているからではないか。
 でなければ、ヤッテハイケナイことを、ついヤッテシマウ、はずがない。

 親しい友人に、葬式をイヤがる男がいる。
 厳粛であるべき顔が、心ならずも弛む、まるで薄笑いでも泛べているようになってしまう…のが自己嫌悪なのだった。
 彼が、じつの母親の葬儀で見せた懸命の努力と、しかし、それを平然と裏切ってやまない強迫観念は、じつに痛ましかった……。

 牛乳の紙パックを、リサイクルしようという動きが、かつてあった。
 結局は、フィルム加工された紙パックがどれほど良質の原料であったとしても、リサイクルする手間と余計なエネルギー・ロスは意味がない、ことが分かって終えた。

 紙パックがイケナイ、のである。
 リターナブルのビンを復活、させればいいことなのダ。
 経済的にも、資源の節約にも、省エネにもなる。

 缶のビールなんてのも、考えてみれば腹立たしい。
 紙と同じ、リサイクルに要するエネルギー・ロスの問題ばかりか、わが家なんかでは、空き缶を資源ゴミとしてだすための減量策として、“缶つぶし”の道具まで購入する羽目にさせられているのダ。
 アレは、どう考えてもメーカーが負担すべきものではないのか。
 
 紙パック牛乳と缶ビールは、即刻、ビン詰めに。
 
 紙パックによる強迫観念という一見瑣末な問題から、やがて飲料容器における省エネ・省資源問題へと考察がすすむ、人の考えというものは、つねにこうありたいものである。