どこゆきカウントダウンー2020ー

2020年7月24日、東京オリンピック開会のファンファーレが鳴りわたるとき…には、《3.11》震災大津波からの復興を讃える高らかな大合唱が付いていてほしい。

“ふくろうの町”豊島区、鬼子母神かいわい散歩/  雑司ヶ谷にはいまも「在所」のふんいき

-No.0301-
★2014年07月19日(土曜日)
★《3.11》フクシマから → 1227日
★オリンピック東京まで → 2197日









◆ふくろう・みみずく資料館http://www.city.toshima.lg.jp/kanko/owl/006351.html

「どうぞ、きょうはホンモノも見られます」
 館長さんの手招きにしたがって小さな展示室の奥へ行くと…。
 いた、いた、ボクはラッキーだった。
 女性の腕に抱かれるように留まっているのは、小型のフクロウ。
 羽毛の柔らかさや色気がまだ幼なく、鉤になった猛禽らしい嘴にも愛嬌がある。

 黒い大きな眼で無心(?)に見つめられると、ヨワイ。
 この子は“森フクロウ”の「てんちゃん」だそうな。
 おっとりした性格だというので、撫でさせてもらうと、フワフワ。
 濃い茶と薄茶の濃淡がおシャレだ。
 指先を遠慮がちに、ごくごく軽くつついてくる、カワユイ。

 「夜行性…ですよね」と、ぼく。
 「えぇ、でも、私たちの生活にあわせて、昼間もこうしてつきあってくれます」
 「餌は…」と、ぼく。
 体長30㎝くらいのものだろうか。猛禽といっても、まだあどけなく、ネズミとかカエルとか…なんか、ぜ~んぜん似合わなく見えたのだけれど。
 「ウズラのお肉です」(ははぁ…)

 きょうは資料館へ、子連れペット連れで遊びにきたらしい。
 お家には、もっとたくさんのフクロウたちがいて、この夏、サンシャイン60の近くにお店をだすのだという。
 店名は「イケフクロウカフェ&ダイニング進撃」。なにやらオモシロそう。https://www.facebook.com/ikefukurouCafe?fref=ts

◆小学校に同居している

 
 「豊島ふくろう・みみずく資料館」は、〈ぶくろ〉の繁華街からちょっと住宅街に入ったところ。
 区立南池袋小学校にある、から、開館は土・日のみに限られる。
 ふくろう資料収集家、飯野徹雄氏(東大名誉教授)が所蔵していた約4000点の寄贈を受けた豊島区が設立。
 館内は小じんまりしているけれど、ワザワザではなしに、ツイデにちょっと立ち寄れる、ほどよいザックリ感。無料だし、ニッポンにはこういう場所がもっとあっていい。

 歴史的にもいろいろあって、いまは“知の象徴”、“森の瞑想家”としても愛される。ついでにわが国では「福朗」縁起の人気者でもある。
 豊島区では、このフクロウ・キャラクターにあやかる町おこしを展開中、フクロウのオブジェが町なかに増殖しつつある。

◆ゆかりの雑司ヶ谷鬼子母神

 資料館のある南池袋小から、“寺町”ムードの小路、雑司ヶ谷を行くと、鬼子母神に出る。
 雑司ヶ谷という地名には、「在」のイメージが色濃い。
 下町の「やんちゃ」を慈しむ懐、「母方の…」「故郷の…」といった安穏、親しげなふんいきがある。

 鬼子母神といえば、「すすきみみずく」。
 郷土玩具というより“護符”であろう。ぼくら青春の頃から、“おもちゃ”にしては高価、“御守リ飾り”のほうが似合っていた。
 高度成長時代の末期、1970年代初期には、欲望追求にばかり傾いた社会情勢への反省から、「日本の心を見なおす」風潮がおこり、素朴で力強い民芸の魅力に添うかたちで郷土玩具にも陽が射した。
 「後継者がいない」と指摘され、ぼくらも高齢の作者を全国津々浦々に追った覚えがある。

 鬼子母神の境内にただよう空気は、その頃と変わってはいなかった。
 人形芝居の舞台さながら、間口ばかりの駄菓子屋に母子の集う風景もおなじ。ただ、身なりが見ちがえるほどよくなり、国際色も濃くなっていた。
 風俗の変遷を感じたのは、石像の仁王さん。かつてその身体の至るところに張り付けられていた色とりどりの紙切れ、“病封じ”の呪いは、いまはない。
 あの頃までは、「風邪避け」とかの“願掛け”の風が庶民の間にのこっていた。

 ぼくの母の実家は法華(日蓮宗)だった。
 仏法守護の鬼子母神は法華信徒にはとくに重要な存在であり、祖母の語る鬼子母の形象は幼児のボクに影響が大きかった。
 鬼子母神の前身は、子だくさんの身でありながら他人の子を捕らえて喰らう鬼母。その宿業から救済するためにお釈迦さまは、彼女の最愛の末っ子を隠す。半狂乱となった鬼子母は世界中を探しまわったあげく、お釈迦さまに救いをもとめ、子を失う母の苦しみを悔悟して仏法の守護神となった。

 ボクにとって鬼子母は、ある意味、地獄よりも怖ろしかった。
 片手に子を抱く美形の鬼子母神像の、もう一方の手には“吉祥果”ザクロ。それは、果肉に人肉の味がするザクロを手に持たせることで、「人肉喰いを戒めるためだょ」と教えられた。
 さすがにこれは、聞いた途端、子ども心にも(迷信噺)と解った。…が、その後どこかの家の庭から差し伸ばされた枝先に、熟したザクロの実がパックリと割れているのを見てしまった途端、迷信はもはや迷信ではなくなっていた。滴るように紅い、多汁質の果肉の粒々からは人の血の匂いが嗅げたように思えた。ゾクッ。
 以来いまにいたるまで、ボクはザクロの実が喰えない。

 ザクロが、花言葉の「優美・優雅」にはとても思えぬ。
 ただ、ガーネット(柘榴石)の輝きはわるくない。
 床柱などに使われる硬質の材も好きだけれど、果肉はイケナイ。

 そのザクロの実は、鬼子母神の門柱にも彫られてあり、さっきの「豊島ふくろう・みみずく資料館」外壁の銅版レリーフにもあった。
 …というだけで、フクロウとザクロの間に直接の関係はない。

 帰路は、都電で早稲田に出た。
 うねる軌条や揺れる車体はかわらなかったけれども、車輛のデザインだけはいまふう。
 いまふう都電は、派手に腰を振って折り返して行った。










*写真=上段、(上左)は資料館で逢った森フクロウの「てんちゃん}、(上右)は「豊島ふくろう・みみずく資料館」外壁の銅版レリーフ・左側にザクロの実が彫られてある、(下左)は鬼子母神公園のふくろう像、(下右)は資料館内の展示風景*
*写真=下段(上)は鬼子母神境内の駄菓子屋店先、(中左)は鬼子母神本堂、(中中)は呪い紙が貼られたかつての仁王像、(中右)は現在のスッキリ仁王像、(下左)は都電荒川線鬼子母神前」停留所、(下右)は鬼子母神参道にのこる古い洋裁店・昔のミシンが懐かしい*