どこゆきカウントダウンー2020ー

2020年7月24日、東京オリンピック開会のファンファーレが鳴りわたるとき…には、《3.11》震災大津波からの復興を讃える高らかな大合唱が付いていてほしい。

“帰還困難区域”浪江町の山野に見えない姿を追う/ 放射線像カメラマンのサンプリング同行記②

-No.0297-
★2014年07月15日(火曜日)
★《3.11》フクシマから → 1223日
★オリンピック東京まで → 2201日





◆〈放射線像〉とは、たとえばレントゲンのような…

 「放射線像」カメラマンの、サンプリングがつづく。
 とりあえず門外漢のボクは、せめて彼の感性のありどころを掴みたいと想う。
 五感外にある物質のサンプリングとはいえ、ただ闇雲に走りまわればいい、というものでもない。漠然と…ではあっても、目的・目標のようなものはやはりあった。

 彼は細い枝道に入って、手七郎という集落を目指した。
 これまでの経験からくる“勘どころ”、おさえておきたいチェックポイントであった。
 その集落はお隣り飯舘村との境、すぐ向うには、飯舘村の“帰還困難区域”長泥集落があるはずだった。おそらくこの一帯はまちがいなく、このたびの“フクシマ原発爆発事故で、最悪の“放射線被曝地帯”のひとつであった。
 
 手七郎集落は、主に酪農と林産を営む典型的な山村といってよかろう。
 ここでも線量計の数値(μ㏜/h)は、1桁から3桁までの間を揺れ動いた。
 山道が大きな曲がりにかかる、平坦な一郭。
 農家と、ふだんは町場に住む人のセカンドハウスらしい現代風な一軒と、石材工務店とがあり、小さな池もあって、耕地も草叢も揃った、いかにも“フィールド”然とした環境。

 彼は、ここで時間をかけてサンプリングした。
 道端の、種類も名称も不明ながら緑濃い蘚苔類から採取。
 放射性物質は、地ぎわに張りついたものに集積しやすいが、なかでも生きた植物は放射性物質を体内に取り込むので、外部被曝ばかりでなく、内部被曝の様子まで観察できるのだ。

 生命体ということでは、動物もおなじ。
 だが、放射線像にする“検体”としては“死骸”でなければならない。
 彼はすでに、先に開催された「放射線像」展で、山鳥、蛇、ネズミなどから得られた“影像”を公表している。
 こんども、山道で鳥の飛来に出くわすと、やっぱり鉄砲ですかねぇ…と、冗談まじりの会話があったりした。

 にわか“助手”のボクとしては、サンプリングの手助けになりたいのだが、そのためには、いまひとつ「放射線像」の方法論が具体的に掴みきれないのが難だった。
 話しを聞いた(素人判断の)かぎりでは、X線(レントゲン)撮影とコピー操作とを合わせたモノのごとく、だからサンプリングする“検体”はなるべく平たいことが望ましい…それだけが頼り。

 彼は、この「放射線像」追求のため、サンプリングした“検体”の保存と乾燥用に、専用の冷蔵庫を別に用意したという。これが、いわば“有機系”。
 もうひとつの“無機系”は、人間が使い残した生活雑貨。長靴、軍手、草箒、ハサミなど。なかでも「放射性物質は、金属の錆びによく付く」ことを、彼から教わっていた。

 そこでボクは、石材工務店の放置された仕事場を丹念に探し回ってみた。
 つい先刻まで、誰かがここで働いていたような、アノ日のままに打ち捨てられた屋根付き作業場であった。原発爆発によって拡散した放射性物質の見えない恐怖が、片づける暇さえ与えずに住民を追いたて追い払った後は、冷酷にして歴然。
 離れた納屋の方で、ゴソッと大きな物音がする。イノシシか…、野生化した家畜か…。
 ここで得られたサンプル(検体)は、ラチェット工具、チェーン、ゴム・ホース、廃棄車のバンパーなど。

 「気分は……」と、彼が気づかって問いかける。
 ボクは、怠〔だる〕さがあることを、言わなかった。
 すでに昼どきをすぎていたが、握り飯ひとつ、この環境で頬ばる気にはなれない。
 水だけを補給して、次へ。

 沿岸部へ向かう国道114号を、ダム湖のあたりまで南下。
 線量計の数値は、あいかわらず乱高下をつづけていた。
 途中、塩浸地区の郵便局前あたりで、拾いモノがあった。
 《3.11》の直前に催しがあったものか、あるいは催事のまさに最中の《3.11》であったかはワカラナイ。
 「ふるさと市」かなにかがあったのだろう、屋台の品々がそっくりそのままに残されていた。
 周辺には飲食店も数件、ことあるごとに人出があって、それなりに賑わったらしい痕跡が痛ましい。

 ここまで陽盛りの行動がつづいて、急な疲労感が(ボクだけでなく)彼にもあった。
 「サンプリングは明日に」して、帰途につく。
 浪江町が用意した「スクリーニング場」に寄って、ガイガーカウンターで人体や車体の被曝線量をチェック。
 「とくに問題はありません」とのこと。

 サンプリングしてきた“検体”も、申告して被曝線量を確認してもらう。
 これも数値にはバラつきがあったが、最高値はラチェット工具の5000cpmであった。
 ここで装備を平常服に着替え、(放射性物質まじり)の埃を入念に払い、顔を洗い、嗽〔うがい〕をして…。
 ようやくニギリ飯を食べる気になった、けれどもふだんの食欲はない。
 
 二本松への帰路は、ぼくがハンドルを握る。
 「ちょっと頭が…痛くありませんか」と彼。
 ぼくは、黙ったまま、しかしこんどは、大きくハッキリと頷く。
 耐えられないほどではないが、頭は重く、気分はよくない。

 劇画『美味しんぼ』騒ぎで、「鼻血」が問題になった。
 同感する人と、反感を表明する意見があった。
 感覚には個人差があって、ナニにせよ「すべて」ではない。
 それは、(息まいて否定しなければならない)ことでも、ましてや(福島県を貶〔おとし〕める)ことでもない。
 事実は事実として受けとめる。
 福島県そのものが、もっとしっかりと、現実を直視する必要があるだろう。
 県行政は、いったいナニを怖れ、ナニに怯えているのか。 

 川俣町に入ると、“除染ゴミ置き場”に目を奪われる。
 置き場といっても、もちろん“仮”置き場だ。
 4月に、ぼくがこの辺りを通ったときの状況そのまま。
 その後、飯舘村では(思ったとおり)、確保されたところだけでは“仮”置き場が足りず、置き場に都合のいい水田が“仮仮”に借り上げられている。
 その水田も奥まった山田などより、道沿いの目だつ場所の方が置き場にいい、あたりまえのことだ。
 除染ゴミ袋を家の庭に積まれるよりはまし、というけれど、そんな状況の故郷に「帰村宣言」などありえないだろう。

 軽くはならない頭の痛みをかかえて、ボクはレンタカーを、事故らないように懸命に気を張って走らせた。
 無性にビールの泡が恋しかった…。