どこゆきカウントダウンー2020ー

2020年7月24日、東京オリンピック開会のファンファーレが鳴りわたるとき…には、《3.11》震災大津波からの復興を讃える高らかな大合唱が付いていてほしい。

“再生”はあるか“滅び”てゆくかの瀬戸際…富岡町に想う/《3.11》2014春の巡礼15日目(完)

-No.0288-
★2014年07月06日日曜日
★《3.11》フクシマから → 1214日
★オリンピック東京まで → 2210日






◆“ムリ”がひとり歩きして見える町

 川内村から富岡町へ。
 県道36号・小野富岡線は、つい先頃まで「通行止」であった。
 ときおり、想い出したように対向車が過〔よぎ〕るだけで、人気の絶えたままの道。

 トンネルをくぐり、ダムの畔〔ほとり〕を抜けて下り行く風景のなかに、放射線が見えない影を落とし、地ぎわ・水ぎわが、住家など建物があればその屋根・壁が、フィルターの役を担わされて病床の患者のごとく、理不尽の想いを抱いて押し黙っているのだった。

 麓に下ると、入村者の汚染度をチェックし告知する(それでどうなるワケでもないフルイワケの)ための“スクリーニング”場があり、2014年2月末に開通したばかり常磐自動車道常磐富岡インターは、放射能汚染対策が停滞してはいないことをアピールするため、とりあえず「ゲートは開けました」感じ、(ムリしている)印象は拭いようもない。

 首都圏方面からここまでは、以前に開通していた区間の通行止め解除だ。
 常磐道の未開通部分、山元(宮城)-相馬(福島)間、南相馬(福島)-浪江(福島)間は14年度中に開通が予定され、のこる浪江-常磐富岡間はその後「なるべく大きく遅れない時期に…」となっている。
 つまり“フクシマ”しだい。爆発事故処理が終息し(おさまり)、廃炉作業に専念できるようになってから…ということだ。

 県道はその先、JR常磐線夜ノ森駅すぐ北の陸橋手前で通行止め、左に避けても、またすぐ先の踏切手前で「通行証確認中」の検問に突きあたった。
 その後(帰宅してから)、JR常磐線は広野(広野町)-竜田(楢葉町)間8.5キロが2014年6月に運転再開されたが、その先、(夜ノ森を通って)原ノ町までは再開の見通しがたっていない。
 どこにも、行きどころなし、寄りどころなし、あるのはムリばかり。

 《3.11》前には、人口もやや増加傾向にあったという富岡町の場合、帰還困難区域は約12%程度とはいえ、いま町に住んでいる人はなく、また将来、町に戻る意思表示をした人も10%ほどしかなかった(2012年夏のアンケート)という。

 2014年5月に公表された東京都による調査の結果。
 《3.11》で岩手・宮城・福島などの被災地から都内に避難している世帯のうち、その6割以上が都内への定住を望み、地元県内への帰還希望は減る傾向にある、という。
 同じく5月、日本創成会議の人口減少問題検討分科会から公表された「消滅可能性自治体」全国896市町村。そのなかに、とうぜん東北地方、太平洋沿岸部自治体の名がずらり並んだ。
 福島県は調査対象外だったけれど、帰結するところは同じである。

 《3.11》の鳴らした警鐘が、集約するところはこのテーマであった。
 かつて高度経済成長の時代に「集団就職」の名のもと、地方から狩り集められた若者たちが、富の集中する大都会東京の、“おこぼれ”便利社会の甘い誘惑には勝てなかったように。
 いままた《3.11》と“フクシマ”以後に、似たような潮流が再現している。
 帰りたくても帰れない故郷を遠く、避難が長びけば長びくほど大都会東京の、危険な匂いを放ちながらもそれなりに気楽な、“根なし草”暮らしにも慣れれば馴染む…。

 20~30代の(出産適齢期)女性の人口が減ることで、トータルでも人口減の地方が衰退する、わけだが…。
 それだけではすまない。
 地方からの若者層をブラックホールさながらに吸い込みながら、大都会東京もまた安穏とはいかず、結婚・出産の減少に歯どめがかからないままに、やはり、いずれ消滅の道を歩むだろう、といわれる。そうなればハナシはきまっていて。
 (オソロシイことは考えないにかぎる)
 思考停止の一手あるのみか。

 常磐富岡インターから帰路につくとき、入口ゲート前のモニタリング・ポストには「これより4キロ先の放射線量」として「2.9マイクロシーベルト」が表示されていた。
 これは「年間積算許容量20ミリシーベルト」を超える値…であることをお伝えして。
 このたび「《3.11》2014春の巡礼」の報告を、終えさせていただくことにする。
 


*写真=上段は、富岡町夜ノ森の無人の風景*
*写真=下段は、同じく富岡町夜ノ森の「通行証確認中」という名の検問所風景*