どこゆきカウントダウンー2020ー

2020年7月24日、東京オリンピック開会のファンファーレが鳴りわたるとき…には、《3.11》震災大津波からの復興を讃える高らかな大合唱が付いていてほしい。

“除染”と“帰還”で揺れる相双地域…葛尾、川内あたり/《3.11》2014春の巡礼15日目(つづき)

-No.0286-
★2014年07月04日(金曜日)
★《3.11》フクシマから → 1212日
★オリンピック東京まで → 2212日






◆3年も経って新たな通行止・迂回指示

 飯舘村から、葛尾村川内村へと辿るルートは国道399号、北は福島市、南はいわき市に至る。
 沿岸部の、南相馬市から浪江町双葉町大熊町・富岡町・楢葉町広野町を通って行く国道6号が表通り(本街道)なら、こっちはさしずめ裏通り(脇街道)…そのとおりの細々と山間を縫って行く道である。

 しかし、表通りが原発事故による放射能汚染で通行止めになれば、裏通りを遠まわりに大きく迂回するほかない。
 表通りは、“人災”での不通という不面目を逸早く打ち消したいためにも、いずれ通行止め解除されるであろう…が、オッカナビックリ、そそくさと通り抜ける道でしかなかろう。
 そうなれば、裏通りの頼りなさ寂しさはますます身に沁みて、故郷は遠くなるばかりだ。

 ぼくは、これで3度目の〈相双〉山間訪問である。
 最初は2011年夏、東北道の福島西インターから、飯舘村のみに立ち寄って南相馬市に抜けた。
 2度目の2012年夏には、いったん沿岸の常磐道広野インター(当時はこのさき通行止め)まで行って戻り、いわき市から国道399号を一路北上した。
 グリーン・ツーリズムの爽快さと、(これが国道かい…)という心細さを同時にあじわい、しかし、ともあれ川内・葛尾を経て飯舘村まで、道は通じていた覚えがある。

 それが、こんどは途中一部が通行止めになっており、さらに山側(東北道方面側)へと大きく迂回させられることになった。
 (ぼくの記憶に間違いがなければ、詳しい放射線量調査の結果、後になってこうした措置になったものかと思われる)
 飯舘村からお隣りの葛尾村へ行くのに、脇道を抜け、いったん山を下り、里に出てからまたあらためて山へと上り返す…というありさまは、まさしく迂遠。
 思い決めた目的意識がなければ、とても踏破する気にはなれないだろう。
 これが原発爆発事故“フクシマ”のもたらした現実の、極く極く限られた一部なのだ…。

 途中、通った川俣町の山木屋地区では、除染ゴミの集積所が新たに造成中であった。
 しかもまだ、たりないかも知れない。
 どこまで、どんな除染をすれば有効なのか…さえ、はっきりとはしていない。

 田村市の都路〔みやこじ〕地区。
 この4月1日に、20キロ圏内の旧警戒区域、11市町村で最初の“解除”地域になった。
 一昨年2012(平成24)年11月に除染を始めて、翌年2013(平成25)年6月に終了。117世帯357人が帰宅したのだ、けれども。
「どんなもんだか、試しにされたか、騙されたのかも…な」
 そんな声が、あっちにもこっちにもある、という。
 道端に、「放射能汚染物質焼却炉建設反対」の看板がガンバっていた。

 葛尾村の移転中の役場には、帰村を見据えてだろうか、なにかの修理工事が行われていた。
 敷地内のプレハブ、防犯パトロールの詰所はあいかわらず。
「帰れっこねぇと、オレは思うよ。帰れることにはなってもサ、帰る気はない者の方が多いしな」
 生活費かせぎの彼らは、田村市の仮設から毎朝やってきて、住めるアテのない故郷を巡回し、昼の弁当を食べ、夕方にはまた仮設に戻って行く。
「もう、やんなっちゃったけどサ、我慢してるんだよぅ」

 2012年に早々と「帰村宣言」した川内村
 役場が機能をとりもどしたぶん、周辺にいちおうの動きは見られるものの、活気というには程遠いありさまで、なんとも心もとない。
 消防署の中庭では、災害救助の訓練が真剣に行われていたが、見守り励ます村人とてない。
 立派な温泉施設は営業を再開し、物産直売所も開いてはいるのだが、なにせ人の姿がまばらでしかない。
 手入れされないままの砂土の花壇には、ツクシんぼだけが健気に芽吹いていたし。
 中学校に戻ってきた生徒も、去年にくらべてさほど多くはなっていないらしく、教室にも校庭にも覇気というものがなかった。

 村長には、「故郷をうしなった周辺町村の人たちを受け容れる」もくろみもあったようだが、現実はさらに厳しく、それどころではないようだ。

◆新聞報道が物語る

 今年2014年1月24日(火)に、《3.11》以降、福島県の人口動態統計が発表された。
 県全体では《3.11》直前に比べ、7万8000人(3.9%)減の194万5000人。いうまでもなく“フクシマ原発周辺自治体の減少が大きく、子ども世代を含む働きざかり子育て世代の流出が多いため、税収不足から自治体そのものの運営が難しくなる事態も予測される、という。
  
 住民票を移して県外移住した人ばかりでなく、県外の親類宅などに避難している人も少なくないらしく。たとえば川内村の、0~14歳人口は20%近い大幅減。20~34歳の人口減でも20%を超える町村がある。
 若い層でも、女性の減少率が男性を上まわり、仕事のため残る父親と、子連れで避難する母親との、別居・別離状況もつづく。

 帰還困難区域が96%の双葉町や、62%の大熊町では、放射性廃棄物中間貯蔵施設の建設計画も絡んで、移住の加速で町の存続自体が危ぶまれる。
 いっぽう、帰還困難区域のない川内村の場合でも、人口の56%しか帰村していないため、村民税収は70%以上も落ち込んでいるという。
 (なお、この状態は5月に続報があった時点でも改善されてはいない)

 政府がすすめる“帰還”対策にも、おざなり、ほころび、が目だつ。
 除染そのものの実効性が、(前から指摘しているように)まず、あやしい。
 田村市都路地区のように、すでに避難指示解除になった帰還地区で、その後になって政府の放射線調査内容の詳細が未公表だったことが明らかになったり、年間被曝線量(1ミリシーベルト)の換算値を甘くして除染目標そのものを後退させるかのごとき動きがあったり…自信のなさをポロポロ露呈しているのだ。

 来春にも“帰還宣言”のだされそうな楢葉町では、「農業もできないところへ戻って、ずっと家にひきこもっていろとでもいうのか」という声が、きこえてきている。











*写真=上段、(上左)は川俣町山木屋地区の汚染除去ごみ集積所、(上右)は閑古鳥も鳴かないままの葛尾村役場、(下)は避難指示解除になったものの人影少ない田村市都路地区*
*写真=下段、(上左)は川内村消防署で見られた災害時の救助訓練、(上右)は砂地に芽吹いた土筆んぼ、(中左)は温泉施設も営業を始めたけれど…、(中右)は客足まばらな物産直売の「あれ・これ市場」、(下)は戻ってくる生徒の数が少ない川内中学校*