どこゆきカウントダウンー2020ー

2020年7月24日、東京オリンピック開会のファンファーレが鳴りわたるとき…には、《3.11》震災大津波からの復興を讃える高らかな大合唱が付いていてほしい。

人無き家や田畑でつづく除染作業…飯舘村/《3.11》2014春の巡礼15日目(4月17日) 

-No.0280-
★2014年06月28日(土曜日)
★《3.11》フクシマから → 1206日
★オリンピック東京まで → 2218日











除染作業がすすむ飯舘村

 南相馬市の首邑、原ノ町から飯舘村へは県道12号原町川俣線を行く。
 途中、常磐自動車道南相馬インターを通る。ただし、これより南、常磐富岡インターまでの区間は空白のままである。

 “浜通り”から“中通り”を目指す県道12号は、やがて福島市二本松市へと至る重要な生活道路のはずだが、いまは通行量も少なく、沿道の民家や商家も戸を閉じている。
 淋しい道を行き、人恋しさのつのる頃に飯舘村に入るのだが、ここにもさらに人気はない。

 役場(機能的には現在は福島市内に移転中)を訪ねる、前庭に設置されたモニタリングポストの数値をよむ。
 0.48マイクロシーベルト。2011年4月、初めておとずれたときが3.28だったから、よくなってはいるのだ、このあたり役場のある地区では。
 ポストの右隣りに「心和ませ地蔵」があって、ボタンを押すと子どもたちの唄う村歌がながれる…ということを、こんどはじめて知った。
 (前はそれどころじゃなかった…のダ)

 飯舘村はいま、キビシイ順に「帰還困難区域」・「居住制限区域」・「避難指示解除準備区域」の3つにわけられており、報道でも知られた長泥地区などは一般人立入禁止の帰還困難区域、鉄格子の門で閉鎖され検問がある。
 役場のある地区は居住制限区域にあたる。

 役場に隣接して特別養護老人ホームがあり、このホームは《3.11》原発事故後も、避難を拒む住民約200人と8つの会社とともにこの地にとどまりつづけている。
 付け加えるなら、この飯舘村は《3.11》直前の2010年に「日本で最も美しい村」連合に加盟している。

 その山河が、童謡『ふるさと』の…
   うさぎ追いし かの山
   小ぶな釣りし かの川
 そのままであったことを、いまあらためて思い起こす。
 そうして、また、この『ふるさと』が、《3.11》後は被災地で口ずさめなくなった懐かしい唄であることも……。

 飯舘村では、各所で除染作業がおこなわれていた。主に田畑に重きがおかれているようであった。役人らしき人が立ち会う、その風景は見た目、測量に似て。
 しかし、深い徒労感に覆われているように見える。つまり、開拓の姿に見られる希望とは真逆の虚しさ、ということである。
 畑の表土の厚さ5センチばかり、剥ぎ取られた汚染度は袋詰めにされて別の集積所に集められるが、その先の処分場地は決まっていない。
 長泥の検問まで行って(環境風景に変り見られず)、徒労のUターン。

 村北部、霊山町との境の佐須集落に、山津見神社を訪ねた。
 「山津見」は、また「大山祇」で、山の神さま。だが、ぼくの訪問は信仰の興味からではなく、その辺りが放射能汚染濃度のホットスポットにあたるらしいからであった。

 虎捕山(奥の院がある)の由緒にまつわる白狼(オオカミ)の狛犬に迎えられる境内に、手をあわせる拝殿はなく、聞けば昨年、焼失にあったとのこと。
 宮司さんが、テント構えの仮の社を清掃しておられた。尋ねると、現在は福島市内に住んで、毎朝、出張って来るとのこと。
 
 境内地に立つと、(社がないせいもあろうが)谷間〔たにあい〕の、風通しのよい所と知れた。
 ホットスポットは、こうした風通しの良さに、なにかしらの〈吹き溜まる〉要因が加わってできるもの、のようである。
 ただし、検知器を携帯していないボクには、その場での確認はできなかった。

 ここ佐須地区は、避難指示解除準備区域。
 今年から除染作業が始まり、除染の終了が来年3月、そうして、帰村は再来年(平成28年度)の予定(というかあくまでも目標)になっているのだった。
 






*写真=上段、(上)は2011年春の飯舘村役場モニタリングポスト、(中左)2014年現在の飯舘村役場モニタリングポスト、(中右)おなじく「心和ませ地蔵」、(下3枚)は村内各所で進む除染作業と汚染ゴミの集積所*
*写真=下段、(上)は2012年夏・長泥地区の立入禁止検問所・住民は日中のみ立ち入れるが寝泊りはできない、(下2枚)は佐須地区の山津見神社*