どこゆきカウントダウンー2020ー

2020年7月24日、東京オリンピック開会のファンファーレが鳴りわたるとき…には、《3.11》震災大津波からの復興を讃える高らかな大合唱が付いていてほしい。

福島の復興はすでに3年遅れ…南相馬から浪江へ/ この差はますます広がるばかりだろう

-No.0277-
★2014年06月25日(水曜日)
★《3.11》フクシマから → 1203日
★オリンピック東京まで → 2221日

*大気が不安定になった関東地方では、きのう都内で“ヒョウ”が降った。それも半端なものではなく、「除雪」ならぬ「除雹」が必要なほど大量に。「じょひょう」ニュース画面のテロップを観て「氷河期」を連想した。地球誕生からの歴史をバイオリズムふうにたどると、そろそろ次の寒冷期に入る時期が近づいており、温暖化さわぎは馬鹿げている…ともいわれる*

*サッカーのワールドカップ・ブラジル大会。予選リーグC組の日本は、コロンビアに1-4で完敗、2敗1引き分けの4位におわり、予選敗退。世界は遠い、世界の筋力・瞬発力は凄まじく、日本の持続力も蹴散らされた*








◆通行止め位置が少しばかり南へ…

 国道6号をひたすら南下。
 冗談でなしに、半ば挑むような気分になっていたのは、この〈福島第一原発〉エリア、原ノ町から南に入るのは、これが初めてだからであった。
 とうぜんのことながら、放射能汚染の深刻さゆえに、通行止めだったからである。
 「来るな」と目を血走らせたヤツが通せん坊をしている…そういう場面をヒヤカシに眺めて愉しむムキもあるらしいが、ぼくにそういう悪趣味はない。

 自由に通れるはずの道が、理不尽としかいいようのない自由で〈通せん坊〉されることに、ボクは耐え難いから、顔が不機嫌に歪むことになり、その反抗的なツラつき見れば、検問の仕事にたずさわる人だってヤッパリ不愉快このうえないから、どっちもどっち、不機嫌に歪んだ顔がそっぽを向き合うことにならざるをえない。
 そんな場面は御免こうむりたいから、ボクは検問を避けてきたのだった。

 行きたかねぇや(“フクシマ”なんぞに)…という気もちの裏に。
 どうしても見とどけておきたい(“フクシマ”の体たらくぶり)があった。

 (風景がギロッ目を剥いて)見えたのは、小高地区に入ってから。
 この(ギロッと目を剥かれる)感覚は、《3.11》1か月後にはじめて被災地に入ったときに受けたものである。
 岩手県釜石から宮城県気仙沼まで、どこに行ってもその感覚からのがれられなかった。
 それから1年後くらいまでは、ところどころに、それがのこっていたろうか。
 けれども、2年後には消えていたのに…いまそれが再現映像のように目の前にあった。

 福島県の沿岸部は、とりのこされていたのだった。
 ほとんどアノときのままに、放置されていた。
 「ボランティアの手がまだまだ欲しい」との訴えを、報道で知ったのが2013年夏のことだった。
 ざんねんながら、訴えは実らなかったのだろうか、荒涼とした風景の広がる中に人影ひとつ見えない。

 浪江町に入って「知命寺」の交差点。
 前方右手に移転中の役場がある、ここがついこの間までずっと、通行規制ポイントになっていたのだが、いま検問の障害はない。

 検問所は、さらに1.5キロほど先の高瀬まで南下していた。が…。
 それは、あくまでも主要道(国道6号)にかぎっての特別措置。交差する地方道、とくに海岸へと通じる道は、ことごとく「通行止」であった。
 来た道を戻りつつ、海沿いへの抜け道を探し求めたが阻まれ、ついに小高川まで退却してやっと海水浴場の村上海岸へ出ることができた。
 けれども、ここから福島第一原発は見えない。
 海岸防波堤を補強するブルドーザーが孤独な作業をつづけており、住民らしい遠い人影をやっと二つだけ見つけた。

 原町火力発電所まで後退。
 すぐ近くにあったはずの「シーサイドパーク」を訪ねてみたが、プレハブの工事現場事務所に寡黙な技師がひとり、両手で罰点「☓」を示してくれただけ、ほかになんの縁〔よすが〕もなかった。

 相馬に帰って、道の駅でツバメが飛び交うのを見てハッとした。
 南相馬でのきょう一日、ぼくに生きものを見た記憶がなかったからである。
 







*写真=上段、(上・下左)は南相馬市村上海岸、(下右)は原町火力発電所
*写真=下段、(上2枚)は南相馬市小高地区の現在、(下2枚)は浪江町高瀬の検問所これより先は「通行証」がないと立ち入れない*

だろう