どこゆきカウントダウンー2020ー

2020年7月24日、東京オリンピック開会のファンファーレが鳴りわたるとき…には、《3.11》震災大津波からの復興を讃える高らかな大合唱が付いていてほしい。

松川浦の水波にいまだ精気かえらず…相馬市/《3.11》2014春の巡礼14日目(4月16日)

 -No.0274-
★2014年06月22日日曜日
★《3.11》フクシマから → 1200日
★オリンピック東京まで → 2224日

 《3.11》フクシマから1200日になった。
 「核廃絶」を誓って黙祷をささげる。

富岡製糸場世界遺産登録が決まった。これを機に子どもガイドの育成にのりだすという。そのさいはぜひ、案内に不可欠なエンタテインメント性についても指導してほしい。マジメだけでは伝わらない、興味をもってこらうことのたいせつさを忘れないでほしい*
(6月12日-NO.264-記事既報)http://blog.hatena.ne.jp/sashimi-fish1/draft-scat.hatenablog.com/edit?entry=12921228815725542677










◆まだまだ復興への道のり険し

 朝の常磐線「相馬」駅。
 改札口を出た(多くはない)人たちが連絡バスに乗り込み、駅長さんがそれを見送る。
 原ノ町方面から来た列車は、現在ここまで。このさき浜吉田(宮城県亘理町)までの27.6キロはレールの被害が大きく、新線に付け替えての復旧を3年後に見込んでいる。
 (原ノ町-広野の“フクシマ”区間は未だ復旧の見通し立たず…)

 松川浦へ。
 
 この『どこゆきカウントダウン-2020-』では、《3.11》からの復興および“フクシマ”のその後と、2020TOKYOオリンピックの開催までを見とどけるため、いくつかの地点での〈定点ウォッチ〉をしていく。

 東京のオリンピックの方では「国立競技場」と「晴海の選手村」。
 そうして“フクシマ”では、相馬市の「松川浦」が決まっている。
 ほんとうは、もっと原発を直視できるところまで近寄りたいのだ、けれども…。
 (松川浦を定点にするワケは、汚染への注目が農地・宅地・林野にばかり集まって、海洋や河川への注意がたりないことと、もうひとつにはココが“常磐もの”といわれる海産のポイントでもあるからだった)

 2011年夏はじめて訪れたときは、海側沿岸も松川浦の岸伝いも、津波被害のまま、ほとんど手つかずのありさまで、瓦礫の散乱するなか船は陸に打ち上げられ、逆に車は頭から水中に突っ込んでいる、という状態だった。

 雨模様の、なぜかやけに冷たい風の吹く日で、ぼくはメモをとるペンが手につかず、やむをえずボイスレコーダーに震え声をなげつけた。
 松川浦新漁港の岸壁も卸売市場建物も、破壊され尽くし、鉄骨がひしゃげのこっていた。
 松川浦大橋も、そのものはのこったが、陸地のほうが酷くやられてしまったので通行止め。
 海遊びの行楽客で賑わった浦沿いの旅館や物産店は軒並に蹂躙され、「壊して下さい」撤去の承諾を示す赤いスプレー文字だけに人の気配を嗅いだ。

 2012年になっても、松川浦大橋は工事関係の車だけを通して一般車両通行止めのまま。
 交通整理の人に訪ねると「むこう(鵜ノ尾岬・大洲方面)がヒドイもんだから…まだとうぶんダメなんじゃないか」とのこと。グルッと迂回して南の大洲側から入って見たが、ナルホド荒涼アルノミ、道は途中で行き止まりになっていた。

 2013年は、他所に所用が多かったせいもあり、立ち寄れないままにすぎた。

 その後の新聞報道で、目だったところを拾い読みしておくと…。
 (少しは動きが見られてきたような)
〇2013年9月24日。福島県漁連は、“フクシマ”の汚染水漏れ問題で中断していた試験操業の再開を決め、相馬双葉漁協の約20隻が25日未明に松川浦漁港を出港した。操業海域は沿岸および沖合。魚種はタコ・イカなど18種。《3.11》から1年3か月後の2012年6月に開始された試験操業は、7月、原発汚染水の港湾内流出で中断していた。県漁連では、1㎏あたり50ベクレル(国の食品安全基準の約半分)以下の魚を出荷する。
〇同9月27日。相馬双葉漁協が再開した試験操業で水揚げされた毛ガニ(安全確認された約130kg)が、仙台市中央卸売市場で競りにかけられた。再開後の県外出荷は初。価格は1㎏あたり1500~2000円で震災前を上まわった。
〇2014年3月11日。《3.11》原発汚染から3年。試験操業で明らかになってきた放射線汚染濃度は減少傾向を示しているが、なお魚種・海域によって差がある。出荷制限魚種40種のうち、体内の放射性セシウムを排出しやすいとされるイカ・タコ・カニ、稚魚のコウナゴ・シラウオなどは検出限界以下。マダラも検出値は下がっている。いっぽうで、ヒラメ・カレイなどの底魚や、メバルなどの磯魚では濃度の下がり方が鈍い。これら全般的な傾向から、①海水中の放射性セシウムが拡散して濃度が薄くなり、②高濃度で汚染された魚の世代交代が進んだといえる。あとは、③魚の死骸や排泄物などに付着して水中に浮遊、あるいは海底土に混じるセシウムが問題だとされ、ホットスポットが解消されたわけではない。
〇同3月25日。“フクシマ”の汚染水対策。原子炉建屋に入る前の地下水を汲み上げ海に放出する「地下水バイパス」計画を、相馬双葉漁協が容認。これで県内漁協の方針が一致した。(その後6月になってこのバイパスにも不具合が発覚、しかも東電は対策をとっていないことが判明している)。 
 
 そうしてこの春2014年4月、ひさしぶりで訪ねた松川浦は、そろそろ歩み始めていた。
 松川浦新漁港の岸壁が、魚市場関係の建物が、残骸撤去・基礎修復の後に新築成っていた。
 原釜漁具倉庫の竣工は2013年6月とのこと。
 「ぴっかぴか…だもんでょ、コワイみたいだ」と、漁師さんがいう。
 コンクリートの新しい岸壁には、まだ魚のニオイが浸みこんでいなかった。

 松川浦大橋の通行止めはつづいていたが、浦の内陸側沿岸は道が縦横に通じ、旅館の営業も始まって、いくらか元気がでてきたかに見える。
 イチゴ狩りハウスや、桜・ユキヤナギレンギョウなど春を謳歌する花々に、のめいっぱい陽光が照り映えていた。

 けれども……。
 潮の流れに生気はもどっても、それは未だ〈精気〉と呼べるものではなかった。
 風光明媚を讃えられた大洲海岸は、「復旧まであと4年の予定」にはなっているのだが……。











*写真=上段、(上)は原釜尾浜の海水浴場から松川浦大橋方面を望む、(中左)は相馬港、(中右)は松川浦新漁港から大橋、(下左)は2012年夏・復興前の松川浦新漁港、(下右)は通行止めが続く松川浦大橋・入口交差点*
*写真=下段、(上左)は松川浦から大橋、(上右)は現在の松川浦風景、(中左)は松川浦の桜、(中右)は松川浦のレンギョウ、(下左)は松川浦のユキヤナギ、(下右)は相馬駅の駅名標亘理方面不通を示している*