どこゆきカウントダウンー2020ー

2020年7月24日、東京オリンピック開会のファンファーレが鳴りわたるとき…には、《3.11》震災大津波からの復興を讃える高らかな大合唱が付いていてほしい。

“ぎりぎり浜”か小竹浜…牡鹿半島/     《3.11》2014春の巡礼13日目(4月15日)

-No.0262-
★2014年06月10日(火曜日)
★《3.11》フクシマから → 1188日
★オリンピック東京まで → 2236日






◆“経済成長戦略”のままでいいの…だろうか

 牡鹿半島の根元、石巻湾から万石浦を抱きとる格好で張り出す小半島がある。
 県道から岐れて入る細道はあいかわらず頼りなかったが、崩落個所はいちおう道普請がすみ、途中の小さな浜も復旧しつつあった。
 (いいのかな…)

 小竹浜も、すっかり片付いていた。
 (きれいさっぱり)という感じが(寂し)さをともなう。
 震災時の世帯数49、人口は114、もちろん高齢の浜である。
 しかし、防災意識の高かったこの浜では、家は流されても、死亡者は1人しか出さなかった。
 (その賢さを将来にどう活かすか…)

 ぼくは、震災後の復興にあたって浜や集落の統廃合はやむをえない、と思っている。
 これまでの用地に対する行政のあり方が、放漫というか、拡張しすぎであった。
 極端にいえば、たった1戸のためにもインフラの整備をしてきた。(それが選挙に勝つためであったとしても…)できるかぎりの無理をして行政サービスに努めてきたといっていい。
 けれどもいまは、それを見なおす時、〈いきすぎ〉は改めなければならない。
 ただ、統廃合の実際、判断にあたっての線引きは難しいけれども…。

 その、生き残れるかどうかの、ぎりぎり、スレスレのところに、この小竹浜はあると、ぼくには思えた。
 浜の(津波にやられた)舟着きは、いちおう修復されていた。
 岸壁の崩落個所など、復旧作業はなおつづけられていた。
 浜には、太陽光発電式の外灯が設置されていた。
 ほかにも、探せばあるのだろうが…。ともあれ、
 「最低限のことはさせてもらいました」という感じ。
 (これで、ほんとに、いいのかな…)




 小舟をあげ、漁の後片付けをしている老漁師がいた。
 この浜の主な収入源は定置網、カレイやシャコ貝が獲れる、獲れた魚は保冷車で石巻へ運ぶのだという。
 集落は、春の陽にまどろんでいるかのようであった。

 小半島の岬をまわる道、復旧後はじめての小道を通った。
 佐須の集落に出ると、対岸に石巻の漁港、その向うに工業港が望め。
 渡波〔わたのは〕の港では、桜花のなか「サン・ファン・バウティスタパーク」も復旧がなって、営業を再開していた。
 傍目には、もう、なにごともなかったような風景…に見えた。





*写真=上段、(上)は舟着きの修築成った小竹浜、(下左)は漁から帰った老漁師、(下右)は浜から見た集落にこれといった変化はない*
*写真=中段(2枚)は、2012年春・大津波後1年の小竹浜の様子*
*写真=下段、(左)は佐須の浜から石巻港、(右)は渡波サン・ファン・バウティスタパーク*