どこゆきカウントダウンー2020ー

2020年7月24日、東京オリンピック開会のファンファーレが鳴りわたるとき…には、《3.11》震災大津波からの復興を讃える高らかな大合唱が付いていてほしい。

“十八成”Nさんの笑顔…牡鹿半島/     《3.11》2014春の巡礼12日目(つづき)

-No.0252-
★2014年05月31日(土曜日)
★《3.11》フクシマから → 1178日
★オリンピック東京まで → 2246日






◆気風がいい牡鹿半島の津々浦々

 ふと(どこか感傷的に想われる)たたずまいの浜がつづいた…。
 2012年春の情景は、あれは《3.11》後の傷痕がまだ痛んでいたからだろうか。
 その後の牡鹿半島は、年に二度ほどの巡礼の身に、ガラッと肌あいが違って感じられた。

 道行く車のスピードが、半端じゃない。
 生活を背負った勢いの地元車が、バンバン追い抜き、曲折の多い道を疾走して行く。
 (半島先端の)鮎川からだって仙台空港まで1時間半もかからない…と聞いた。
 感覚は完全に市街地のものである。
 石巻さらには仙台にも近い、ここはもう三陸リアスの沿岸とはハッキリ事情が異なる。

 “鳴き砂”の十八成浜〔くぐなりはま〕は、見る影もなく痩せたままだった。
 大きく地盤が沈下したせいもあり、ごっそりと削り取られた砂浜はいま、土嚢を並べて波から道を守っている状態。
 まずは集落の安全、高台移転のための整備工事が進行中であった。
 
 鮎川浜を目指す。
 そこに逢いたい男がいた。
 それは、男女間の情とは別趣の、いわば男気の領分だった。

 被災の沿岸にも、もちろん笑顔がないわけではなかったけれど…。
 最初の夏までは、表情のない、顔をあわせるのがせつない、意味不明の笑みだった。
 なにかを問いかける目さえ、とがめる眼差しに見えてしまうのが辛かった。

 それから、だんだんに、人それぞれに、とけてこぼれる笑みになっていった。
 ときには、はじけるような笑顔にこちらが気おされることもあったけれど、それだってふだんとは違う、心の不安定さを紛らすためのもの。
 現実の状況からすればやっぱり〈場違い〉だった。

 そういう場面ばかりのなかを行く、巡礼者にもときにオアシスがほしい。

 逢いたい男、イコール、逢いたい笑顔であった。
 “十八成”のNさんは、実業家である。奥さんが、十八成浜バス停のすぐ前でリカー・ショップを営んでいた、その店を津波にもっていかれた。
 で、やむをえず、いまは鮎川にできた仮設の復興商店街で、にわか酒屋の大将でいる。
 夫婦の命が助かり、成人した子たちはすでに独立、被災者のなかではマシなほうといえた。
 避難所を出るまでは世話役、そういう人物だった。
 (どうなるか)ではなく(どうするか)を考えるタイプ、といってもいい。
 くわえて奥さんも屈託なく明朗、ありがたい夫婦に出逢えてウレシかった。

◆十八成浜にビーチサッカー場の夢

 鮎川の港は、まだ復旧の途上。
 大地震に揺さぶられて波うち、岸壁までうねっていたアスファルト路面は、片づいた。
 網地島ラインのインフラ航路も従前どおり就航している。けれど、まだ船着きは充分でなく、金華山行きの渡船も欠航したままだった。
 
 こまかく目を配れば復興の手は徐々に入っているのだろう。
 しかし、石巻の市街地に比べると、半島部の不利は免れない、「ちょっと待て」状態は一目瞭然だった。
 港から少し山側に入った復興商店街の“おしかのれん街”。
 Nさんの店は、酒の陳列棚を復興アピールの掲示板にしている。

 Nさんはいま「十八成ビーチ・海の見える丘協議会」の代表理事。
 地区住民の宅地、高台移転の次には、十八成浜の復興を見据えている。津波にもっていかれた砂浜の、人口ビーチでの復活をもくろんでいるのだ。
「高台移転の工事はインフラ整備も含めて順調にいってるようです、うまくすると来春にはなんとかなるかもしれない」
 Nさんにはすでに、わが家を建て直す腹づもりもできていた。
 



◆沿岸捕鯨基地、鮎川港の将来

 鮎川港の背後の山に「御番所公園」がある。
 200メートルにみたない高さながら、豊かな漁業資源に恵まれた金華山沖を望む、海景と潮風がここちよい。
 港の一郭にある観光施設「おしかホエールランド」周辺には、復興再開発の動きが始まっているようだった。
 
 わが国が南極海で行ってきたいわゆろ“調査捕鯨”が、「科学を装った商業捕鯨だ」として反捕鯨国のオーストラリアから訴えられ、ハーグ(オランダ)の国際司法裁判所で敗訴したのは3月末のことだった。
 あのとき多くの人々は、にわか“日本食文化”論者となって反発、して見せたけれど。

 じつは、これに伴ってもっと憂慮すべきことがある、のを見落している。
 それは、南極海での大規模捕鯨の〈わがまま〉がひいては、わが国にとってもっと身近な、太平洋沖や沿岸での中小捕鯨にも影響を及ぼす、ということ。
 いいかえれば、中央の研究機関を含む一部漁業関係者の〈やりすぎ〉が、地方の迷惑になっているのだ。いつもの構図というヤツだ。よく考えないといけない。

 いっぽう石巻湾側の一郭では、「微細藻類栽培」のモデルファームが始動している。
 これはいま注目のバイオマス事業で、バイオディーゼルオイルとEPA(エイコサペンタエン酸)など有用物質の抽出を目指す。
 はたして“牡鹿の海”の将来は…。




*写真=上段、(上左)は“十八成”のNさんと2013年春、(下左)は御番所公園から金華山を望む2012年春、(右)は鮎川浜の「おしかホエールランド」2012年春*
*写真=中段は、“鳴き砂”が流出し地盤沈下した十八成浜2012年春*
*写真=下段、(左)は鮎川の高台から見た網地島むこうは田代島、(右)鮎川の清崎モデルファーム*