どこゆきカウントダウンー2020ー

2020年7月24日、東京オリンピック開会のファンファーレが鳴りわたるとき…には、《3.11》震災大津波からの復興を讃える高らかな大合唱が付いていてほしい。

茫漠ボウゼン…雄勝半島のことなど(石巻市)/《3.11》2014春の巡礼12日目(補遺)

-No.0250-
★2014年05月29日(木曜日)
★《3.11》フクシマから → 1176日
★オリンピック東京まで → 2248日












◆訪ねるアテなく、逢う人もなく…

 大川小学校を訪れたとき、雄勝半島そのものの惨状にも目を奪われた。
 けれども、なにしろこの地区には、どうしたものか、消息ひとつ尋ねるアテがない。
 ちょいと身を寄せるところはおろか、道で行き会う人もないのだ。

 かつての雄勝〔おがつ〕町は、雄勝硯の産地としても知られる海と山の町。平地はほとんどない、といってもいい。
 女川の町から、海に臨んだ「千本桜」と讃えられた国道398号、至るところに崩落の跡も生々しいなかを行って、雄勝湾の入江を眺めたときにはビューティフルの一語に尽きた。

 しかし、湾岸の狭い低地に下りてみると、〈復興〉に向けての難儀に胸が塞がれる思いだった。
 素直な湾入は津波の威力を減殺するナニモノもなく、きれいに浚われつくした岸には盛土で宅地を造成できるゆとりも少なすぎた。

 2012年の夏。
 訪れた雄勝総合支所の建物も傷だらけ、職員も多くが出払った昼下がりの光景は、ゴーストタウン寸前かとさえ想われ…。
 沿岸の仮設住宅を訪ねてみたけれど、狭い土地に少ない建物が肩を寄せ合う立地は、訪問者の車を駐める余地すらなかった。

 山道を上がった奥の森林公園に、「いい仮設がある」と聞いて行ってみた。
 この道を延々と辿ると石巻の市街に近い?…らしい。
 そこは緑陰の瑞々しい、なるほど避暑地のようなところで、午後のひとときを寛いですごす人々の表情は和んでみえた、けれども顔ぶれは年寄りばかり。

 復興プランへの意向は、ほとんどが「海に近いところへ戻りたい」なのだ。
 (……………)
 ボクに声もなかったのは、到底ゲンジツには思えないからだった。
「こうなってみると石巻市への合併(2005年春のこと)が、さぁ、よかったのかどうか」
 渋い笑いに紛らす人もいた。

 この雄勝半島には、大川小学校のさらに海側の河口部にも“復興困難”な地域があった。
 2013年春に訪れた長面〔ながつら〕地区。
 そこは潮入りの長面浦が大きく広がるほどの低湿地であり、《3.11》の大津波は易々と辺り一面に渦を巻いて流し去った。
 ほとんどすべて跡形なく、復旧の足掛かりさえもつかず…。
 ついにこの地区の場合には、住民こぞっての移転で話がまとまった。
 土地利用をどうするかの課題はのこるが、賢明な選択といえるだろう。

 同じ2005年春、石巻市に合併した旧北上町の白浜の場合には、また事情が異なる。
 (雄勝半島は北上川右岸にあたり、いっぽう北上町の方は左岸にあたる)
 かつて海水浴や観光地引網で流行った浜は、いま住民こぞって「なんで…、どうして…」の絶句状態にあるという。
 
 原因は、浜に立てられた赤・白だんだら、台形に木組みされた目じるし。
 電信柱に匹敵するほどの高さは8.4メートルで、この高さにまで防潮堤が築かれる。
 長さは海岸の端から端までの1.3キロ。

 住民が首を傾げる理由はハッキリしている。
 住まいは高台移転に決まっているのだから、なぜ浜にこれほどの大仕掛けがひつようなのかワカラナイ、からだ。
 もっと不可解のは、《3.11》でここに押し寄せた津波の高さは15メートルを超えていたといわれ、すると8.4メートルばかりの防潮堤にどれほどの意味があるのか。
 せっかくの浜の観光価値を無にすることはない、のではないか…。
 









*写真=上段2012年夏、(上)は国道398号から眺める雄勝湾から雄勝半島方面、(中2枚)は被災したままの雄勝湾岸、(下左)は雄勝町雄勝総合支所、(下右)は森林公園の仮設住宅団地*
*写真=下段2013年春、(上)茫漠としたままの雄勝半島長面の津波あと、(中左)は河口に近い北上川対岸から眺める長面方面の低平地、(中右)は汽水域の長面浦に架かる橋、(下)北上川左岸・北上町白浜の新設防潮堤高さを示す目じるし*