どこゆきカウントダウンー2020ー

2020年7月24日、東京オリンピック開会のファンファーレが鳴りわたるとき…には、《3.11》震災大津波からの復興を讃える高らかな大合唱が付いていてほしい。

震災遺構、森の防潮堤、津波の教え…気仙沼/《3.11》2014春の巡礼12日目(つづき)

-No.0247-
★2014年05月26日(月曜日)
★《3.11》フクシマから → 1173日
★オリンピック東京まで → 2251日




◆消えた“震災遺構”候補のひとつ

 
 街なかにデンと居座った巨体は、それだけで驚愕であり、大津波の威力のほどを見せつけた津波座礁船。
 「津波の怖さを伝えよう、のこそう」という声もあったけれど、結局は取り壊されることになった経緯がある。

 周辺の後始末が進むにつれて、いっときは観光名所のような光景も見られた。
 いま、なくなった後のスッキリ風景をまのあたりにすると、(なるほどこれが正解だったんだな)と思う。近所に住むお婆ちゃんがいっていた。
 「あれが片づいてくれたおかげで、胸のツカエがおりたようでホッとした」

 “震災遺構”と呼ばれるものの、取り扱いの難しさを想う。
 陸前高田市では、「人命が奪われた施設はのこさない」という、しっかりした方針が市長にあると聞いた。それも、ひとつの見識だろう。

 「広島の原爆ドームとは、やっぱり違いますよね」という声もある。
 たしかに、あちらは戦争という愚かな人為の果てだけれど、こんどの場合は、大自然によって引き起こされた災難。
 相手が、ふだんはありがたい“恵みの海”であってみれば、感情も複雑にならざるをえないのだった。








◆「森の防潮堤」はどうなっていくか…

 気仙沼湾の入口に近く、波路上〔はじかみ〕地区がある。
 いま、東北の沿岸各地に動きのある「森の防潮堤」構想がここにもある。

 ニッポンという国でも、「緑 VS コンクリート」の葛藤の歴史は長い。
 ダムがそう、河川堤防がそう、海の防波堤・防潮堤もそう。
 コンクリートの寿命はせいぜい100年だが、緑樹の生命力にかぎりはない。

 震災瓦礫を混ぜた盛土を築いた上に、その土地に馴染む植樹をして「森の防潮堤」に育てる案は、震災のすぐ後に植物生態学の宮脇昭(横浜国立大学名誉教授)さんから提唱された。
 福島県いわき市では、海岸の森によって約7メートルの津波が食い止められた報告がある。

 こうして岩手・宮城・福島の3県7市町で始まった「森の防潮堤」推進活動だけれど、なかなか〈勢いがつく〉ところまではいっていない、らしい。
 ひとつには、行政サイドの協力が得にくい。コンクリート構築とちがって、目に見えるかたちでの計算がしづらく、将来の効果もまた見えにくいからだろう。
 お役所感覚のハードルを低くしてやる知恵が必要らしい。

 実際、ボクの探し訪れた場所が見当ちがいだったせいもあろう、けれど、波路上の岸辺は荒れのこされたまま、ジッと耐えているように見えた…。





◆奪われた命にこたえること…

 
 気仙沼の街はずれから南三陸町にかけて、リアス海岸には珍しくゆったりと弧を描く浜がある。
 大谷海岸は、海水浴場として知られ、浜づたいのJR気仙沼線大谷海岸駅は“道の駅”も兼ねて、格好の休憩ポイントでもあった。
 しかし「ダイヤの浜」は 標高わずかに3.6メートル。

 大津波の後、巨きな砂袋を波除けに並べた浜に臨んで、砂に埋もれかかった鉄道のレールは、潮っ気のせいか他所より錆びがひどいようだった。
 ここに行政は、高さ9.8メートルの防潮堤を聳えさせる計画という。
 とうぜん、ナニかくふうがなければ、岸から海は見えなくなる。
 あたりまえのこと、住民からは熟慮を求める要望がある。

 たしかに津波は多くのものを奪っていった。
 けれども、じぶんたちはその海を愛し。
 覚悟をもってともに生きる未来を選ぶ…と。

 さらに南へ、陸前小泉駅のあった小泉地区は、河口を遡る津波で被害が大きかった。
 震災一年後にここを訪れたときなど、どこからどう入れば小泉地区になるのか…ワカラナイありさまだったことを想いだす。
 住民はまとまって、集団での高台移転をいちはやく決断した。

 海から近い高台の小泉小学校の校庭に、2013年春「津波の教え」の碑が建った。
 4メートルを超える高さの自然石、その上部には、犠牲になった人たち一人一人を想い、心と心を通わせられるように…との、願いこめた円い窓が開いていた。

 振り返れば2013年の春は、はからずも、このような記念碑や慰霊碑など、各地に続立したモニュメントを訪ねる旅になり。
 (生きてる人たちのことが先じゃないのか…)
 いいようのない無念の情がこみあげたことを、忘れない。 
 

*写真=上段は、気仙沼市内に巨体を曝しつづけ話題になりつづけ、ついに撤去されていまはない津波座礁船、2013年春*
*写真=中段3枚は、気仙沼市波路上地区の津波被災痕、「森の防潮堤」をつくる構想があるが動きはいまひとつ、まだ軌道にのっていないようだった*
*写真=下段、(左)は気仙沼線大谷海岸駅、(右)は小泉小学校校庭の「津波の教え」碑、いずれも2013年春*