どこゆきカウントダウンー2020ー

2020年7月24日、東京オリンピック開会のファンファーレが鳴りわたるとき…には、《3.11》震災大津波からの復興を讃える高らかな大合唱が付いていてほしい。

森は海の恋人・牡蠣の森を慕う…唐桑半島/   《3.11》2014春の巡礼・12日目(つづき)

-No.0245-
★2014年05月24日(土曜日)
★《3.11》フクシマから → 1171日
★オリンピック東京まで → 2253日







◆唐桑半島とは相性がいまひとつ…

 「唐桑」という地名の由来は、むかし、この半島の沖で唐(中国)の船が難船、その積荷が桑だった…とかいう。

 唐桑半島へ、最初のとっかかりは難儀なことだった。

 2011年大震災の夏、まだ瓦礫の処理もままならないときに、ぼくは気仙沼の町から半島基部の海辺を目指した。
 気仙沼湾には気仙沼大島がデンと腰を据えており、おかげで湾奥の被害がまだいくらかは少なくてすんだ、ともいわれている。
 (逆に、その地理的条件が津波の動きを複雑に意外なものにもした…という指摘もある)

 ぼくが、そのとき目指したのは「九九鳴(くくなき)浜」、“鳴き砂”の浜である。
 石英質の細かい砂と、汚れのないことが条件の“鳴き砂”は、美しく保たれた海浜環境の指標ともいえる。
 もともと砂の感触が好きなボクは、ことさら“鳴き砂”に魅かれていた。

 九九鳴浜のある舞根は、狭い瀬戸を挟んで大島と対し、その大島にもやはり“鳴き砂”の「十八鳴(くぐなり)浜」がある。
 そんなこんなで、大災害後の「まだそんな場合じゃない」状況もわきまえずに、スイマセン(浜がのこっているか)たしかめたかったのだった。

 結果は…道半ば、途中で道路復旧工事の通行止め現場に阻まれ、やむなく撤退
 その後は、ときのすぎゆくまま、(いつかその日が来る)のを待っている。
  
 2013年夏には、半島先端の御崎まで。
 このときはビジターセンターへ、「津波体験館」を訪ねて行った。
 津波の疑似体験ができるというのは、おそらくココだけであろう。その迫力のほどを確かめてみたかったのだ、けれども、ちょうど体験装置の点検日かなにかで惜しくもアウト。
 
 どうやら、いまのところ相性がいまいちであるらしい。
 かわりに、壮大な海景美で知られる「巨釜・半造(おがま・はんぞう)」を訪ねてすごした。

 唐桑にはもうひとつ、日本の沿岸・養殖漁業にとって画期的な、「森は海の恋人」「牡蠣の森」の活動がある。
 沿岸汽水域に恵まれる栄養分は、流れ込む川の上流、森の腐葉土に由来することから、漁家が後背地山林での植樹作業に立ちあがった。
 「漁師山にのぼる」と呼ばれ、大きな話題になったのは20年くらい前だったろうか。
 指導者・畠山重篤さんの牡蠣養殖場も、九九鳴浜に近い舞根にある。

 この春、ぼくが訪ねたのは、舞根の東対岸、鮪立(しびたち)というところ。
 浜の話題はいうまでもなく、いまもっとも議論が熱い防潮堤。
 見たところ、そこは箱庭のような、湾内の小さな入江。だが、《3.11》の大津波では16人が亡くなっている。

 そこで、宮城県がうちだした〈防災計画〉は高さ9.9メートルの巨きな防潮堤。これに対して地元の漁家たちは「海が見えない、漁にも出にくい」と反対、5メートルへの引き下げを要望。県は譲らず…という。

 ぼくは、詳細を知らないけれど。
 どうも宮城県トップダウン方式は、杓子定規にすぎるというか、〈現地感覚〉という原点の欠落がアヤウイ気がしてならない。

 (対象を)見やる目線を遮るばかりか、威圧的に抑え込む感のある防潮堤の、あまりの高さはもはや生活者感覚ではない。閉め出すのと一緒だ。
 それほどまでに、安住に心をくだくというのであれば、いっそ立ち退きもある、のではないか。
 この浜の場合(そこまではなかろう)と観える。

 岩手あたりでは、そのへん、県や市町村と住民との間で協議が尊重されているらしく、工事も捗りつつあるようではないか。
 住民にエゴがないとはいわない…けれども(トップの駄々っ子はイタダケナイ)。
  


*写真=上段は、2013年夏の唐桑半島「巨釜」*
*写真=下段は、防潮堤の高さで揺れる鮪立の浜*