どこゆきカウントダウンー2020ー

2020年7月24日、東京オリンピック開会のファンファーレが鳴りわたるとき…には、《3.11》震災大津波からの復興を讃える高らかな大合唱が付いていてほしい。

箱根山展望台からの広田湾大眺望…陸前高田/《3.11》2014春の巡礼・12日目(4月14日)

-No.0244-
★2014年05月23日(金曜日)
★《3.11》フクシマから → 1170日
★オリンピック東京まで → 2254日









◆ようやく立てた大眺望の高み

 陸前高田大船渡の境、広田半島の付け根にこんもりと盛り上がる山がある。
 箱根山、標高447メートル。
 高みの展望台に立てば眺めがいい、ことは聞いていた。
「広田湾はもちろん、大船渡までバッチリだ」

 そこへは「市民の森」から上がれるというので、じつは昨2013年の夏に一度、上ろうと試みたのだけれども、果たせなかった。
 中腹に「気仙大工左官伝承館」という見ごたえのある古建築がある。
 まず、そこを訪ねてアレコレお話しをうかがい、箱根山への道も教わって行ったのだが、見知らぬ土地というのはしようのないもので、とんと道標を見落してしまったらしい。

 二度目のこんどは、やっとこ絶景の展望台に立つことができた。
 南東方向の太平洋へと、トロール漁網のように大きく長く口を開いた広田湾は、唐桑半島と広田半島とに挟まれた湾奥へと、大津波は増幅しつつ、両岸に打ち返されながら浜に襲いかかったのであろうか。
 岸のあちこちに赤くむき出しの傷痕をのこしながら、いま海はあくまでも碧くおとなしく。
 しかし…ここからようやくにして、松原あたりの沈下し、ごっそりと抉られ、潮溜りになってのこされた浜を確認することができた。

 左に目を転ずると海に近く、緑の森のなかにぽっかり開けたところへと視線は吸い寄せられ…。
 そこが、オートキャンプ場「モビリア」らしかった。
 やはり、去年の夏。
 箱根山に振られたあと、寄ってみたら、キャンプ場が仮設住宅団地になっていた。

 正確には“仮設”ではない、一戸建ての木造バンガローを活用したそれは、少なくともボクの経験した範囲では、他に類を見ない恵まれたものだった。
 なにしろ個別に車寄せがあり、玄関へとつづく短いながらアプローチがあり、緑樹の植え込みが隣家との間にゆとりをもたせて、プライバシーもばっちり確保の、至れり尽くせり。

 ぼくは遠野のお隣り、住田町が沿岸被災者向けに提供した木造仮設住宅の温もり感に感動した覚えがあるが、それさえ、ここに見る好環境にはおよばない。
 きのう泊ったキャピタルホテルの、女性スタッフの一人が言っていた。
「えぇ、あそこは最高にイイです、入れた人はラッキーです、私の親戚のおじさん・おばさんは運が良くて、ハイ、とっても喜んでますよ」
 



 そのオートキャンプ場のある仁田山と、ここ箱根山との間の縊れ込んた狭間に、いまは見えないが、かつて大船渡線のレールが弧を描いて敷かれてあった。
 2012年春、ぼくがその途中駅のひとつ小友駅を訪ねたとき、廃墟と化した駅前の店の老人から、アノ大津波が広田半島の東西から陸地を乗り越え、「この辺で波と波とがぶっつかってナ、そりゃそりゃ、怖ろしかったわいネ」と、皺顔をキュッと顰めたのをいまも忘れられない。
 そのとき、そこで、ボクは、赤錆びたレールの残骸ながめつつ、しばらくは茫然と、荒れ果てたホームのベンチから腰をあげることができないでいた…。









*写真=上段は箱根山からの眺望、(上)は高田松原方面遠望、(中)は高田松原あたりのアップ、(下左)は広田湾の牡蠣養殖筏、(下右)は広田半島モビリア方面*
*写真=中段、(左)は気仙大工左官伝承館2013年夏、(右)はオートキャンプ場モビリア2013年夏*
*写真=下段は、大船渡線小本駅2012年春*