どこゆきカウントダウンー2020ー

2020年7月24日、東京オリンピック開会のファンファーレが鳴りわたるとき…には、《3.11》震災大津波からの復興を讃える高らかな大合唱が付いていてほしい。

市街地の高みからでは全貌が見えない…陸前高田/《3.11》2014春の巡礼・11日目(つづき)

-No.0243-
★2014年05月22日(木曜日)
★《3.11》フクシマから → 1169日
★オリンピック東京まで → 2255日





◆“高み”を探しまわった陸前高田

 被災した各地に、さまざまな復興への意欲的な試みが見られる、支援の動きも多彩をきわめる。
 とにもかくにも、ニッポン人はつくづく勤勉な民族だと痛感する。
 このマンパワーを結集したらスゴイことができるだろうのに…と、分散が惜しまれる。

 「桜ライン311」というプロジェクトがある。
 市内約170キロにわたる津波到達ラインに沿って、10メートルおきに桜を植樹して並木に育て上げ、後世の人たちに「津波の怖れがあるときはこのラインより上へ避難せよ」と、伝えることを目的とするものだ。

 これまでに植樹できたのは計画の4%ほどの700本、総数1万7000本までは大勢の協力者による息の長い活動が求められる。
 まだ春浅い野に、植樹がすんだ一郭、浄土寺裏の「桜ライン」を訪ねた。

 まだ小さな桜樹の枝先に濃いめのピンク、懸命に花開いていたのは神奈川県松田町から寄贈されたという、早咲きいちばんの河津桜
 桜のなかでも土壌を選ばず育ちやすい、オオシマザクラやベニシダレザクラを中心に、岐阜県庄川桜など各地の名木苗木も集められるという。

 いまは桜花の頭越しに見やる荒れのこされた市街、この桜樹が大きくなる頃には、さて、どうなっていることだろう…。

 ぼくは、この平べったく広がる陸前高田の町でも、海まで見晴らせる高みを探しまわったものだ。
 氷上神社のあたりからゆるい坂道を下って、高田小学校の校庭に立ったのが2012年春。
 ここからは、津波が退いたあと潮水溜りになった低地、旧高田松原の辺りがよく見えなかった。

 2013年春には、建築家・伊東豊雄さんたちによる復興支援プロジェクト「みんなの家」を訪ねた。
 「みんなの家」は、《3.11》で家を失った人たちが集って語らい、心やすめ、復興を語りあうための共同の小屋。趣旨は素晴らしい。
 そうしてこのプロジェクトは、なんとかいう海外の有名な賞を獲得もしているのだが…。

 けれども、その成り立ちや中身からは、惜しいかな、さほどの感心を呼び覚まされなかった。
 建築家さんというのは、ときどき、よくわからないことを懸命になさるものだ。
 (伊東さんは“2020TOKYO”国立競技場の維持改修案の提言でも話題になった)

 この春は、土地人からの情報を頼りに市役所仮庁舎に近い第一中学校へ。
 仮設住宅団地になっている校庭の外れから、これまでにない広がりの眺望が得られたが、ザンネン、まだもう少しばかり高さがほしかった。





 この日の泊りは、ひときわ大きな盛土の上に建つ「キャピタルホテル1000」。
 このホテル、震災前は高田松原にあった。復活の高台である。
 いま支配人をつとめる笑み朗らかな女性も、もとは松原にあった飲食店の女将さん。
 夜は、周辺が闇につつまれるなかに灯台みたいな趣きのこのホテル、翌朝の陽が上ると、前面いっぱいに陸前高田復興ウォッチの絶好地であった。



*写真=上段は、「桜ライン311」浄土寺河津桜
*写真=中段、(左)は「みんなの家」2013年春、(右上)は高田小学校から海を見る2012年春、(右下)は第一中学校から海を見る*
*写真=下段は、復興ウォッチに最適な「キャピタルホテル1000」*