どこゆきカウントダウンー2020ー

2020年7月24日、東京オリンピック開会のファンファーレが鳴りわたるとき…には、《3.11》震災大津波からの復興を讃える高らかな大合唱が付いていてほしい。

ベルトコンベアだけど「希望のかけはし」…陸前高田/《3.11》2014春の巡礼・11日目(つづき)

-No.0242-
★2014年05月21日(水曜日)
★《3.11》フクシマから → 1168日
★オリンピック東京まで → 2256日





陸前高田はとらえどころのない町だった

 「壊滅」…といってしまえば、それまで…。
 とらえどころなく“茫”とした風景のなかに、松が一本、立ちのこっていた。

 《3.11》のひと月後、潮煎り瓦礫臭のなかを通ったときから、そこにあった。けれども…。
 災害救援の自衛隊車輛が陸続往来するなかでは、注目される暇(いとま)もなかった。

 その後、「奇跡の一本松」として取り上げられ話題になると、一気に一世を風靡することになったのは、かつての名勝松原を惜しむ人があり、立ち位置もヨカッタからであろう。
 健気に一本だけ立ちのこった樹(やっぱり松が多かった)は、気がつけば他にもいろいろあったのだが…。

 ともあれ、“奇跡”の命脈が一度は枯れ、〈そのまま〉の復元が図られ、枝葉の姿形が違うとクレームがつき、慌ててやり直す騒ぎがあって…いま想うと(アレはなんの騒ぎだったろう)、生きのこされた命そっちのけの一種異様な情景ではあった。

 ただ、あらためて被災後のこの町、陸前高田を眺め見るとき。
 なにかしら「目じるしがないことには」どうにもならない、さまざまな角度から、どのようにして見ても焦点のさだまりにくい、間怠っこさの拭いきれない、平べったさに突きあたる。
 「まるで蜃気楼」なんていったら叱られそうだが。
 だからこそ必要な「奇跡の一本松」だった…のかも知れない。

 そこに、この早春3月、新たな目じるしが登場した。
 地元児童が「希望のかけはし」と名付けた脚長(あしなが)のベルトコンベア・ライン。
 「これはいい」と思った、リズミカルな上昇ムードがあって、どこかとぼけた味もある。




 高台移転の造成地から削り出す土砂を、海べり低平地の盛土用に運び出す。
 なるほどダンプなんかでちょこまかするより、スムース&セイフティー。
 ついでに注目も集めてしまおうという、いいアイディアである。
 リアスの谷の町村から見れば、羨ましいほどの展開である。

 予想される搬出土砂量は東京ドーム約6杯分(740万立方メートル)とかで、1日に約2万立方メートルを運び出すと来年5月までには作業を終えることになる。
 さぁ、それからが正念場だ。復興の動きに弾みがつけられるかどうか。
 また「奇跡の一本松」に舞い戻ってしまうのかどうか…。

 もうひとつ、いま悩ましい風景は“盛土”。
 この春の巡礼で、どこの被災地にも目だってきたのがコレだったし、ここ陸前高田の平たい土地の広がりの中では、それがより一層ニョキニョキときわだつ。

 「舞台のよう」で、土台のガッチリ信頼感、基礎のシックリ安定感には、まだ遠い。
 四方の斜面に雨水の流れた痕が幾筋も刻まれていたり、別のところでは擁壁がわりに芝張りが行われていたり…であった。
 ぼくには詳しいことはわからない、けれども「盛土」はあくまでも「土盛」だろう。
 なにかしら安心感の付与がないと、被災民にはナットクされないのではないか。
 せっかくの盛土が住民の流出につながらないことを祈るばかりだ。 

*写真=上段、(上)は陸前高田の元祖シンボル「奇跡の一本松」2011年夏、(下)は現在のシンボル「希望のかけはし」・奇跡の一本松は向うに隠れた、
*写真=下段は、海岸部で進む“嵩上げ”の盛土、雨水の流れた痕が崩れており芝を張り付けているところも見られた*