どこゆきカウントダウンー2020ー

2020年7月24日、東京オリンピック開会のファンファーレが鳴りわたるとき…には、《3.11》震災大津波からの復興を讃える高らかな大合唱が付いていてほしい。

“盲点”は気づいたときに消しておく…唐丹(釜石)/《3.11》2014春の巡礼・11日目(補遺)

-No.0239-
★2014年05月18日日曜日
★《3.11》フクシマから → 1165日
★オリンピック東京まで → 2259日






◆「伝えつなぐ大津波」碑

 人には、否応なしに“盲点”がある、“盲点”ができる。
 見すごしてかまわない“盲点” と、見すごせない“盲点”がある。
 気になる“盲点”は、気づいたときに解消しておく。

 「唐丹(とうに)」というところが、ぼくには“盲点”のひとつになっていた。
 《3.11》の1か月後、拭い難いガレキ臭のなか、大槌から南下を始めたときは、釜石の惨状を見納めて峠に上がると、やっとひと息つけた。
 平田のあたりで、津波の被害はなんとか免れたらしい家の火事場に遭遇、たまらない気もちに駆られて大船渡へ、ほとんど一目散だった。

 トンネルを抜けると、左下に海、右手に破壊し尽くされた唐丹駅(三陸鉄道南リアス線)を見て、ギクッとしたのは覚えている。
 駅のある場所そのものは高台なのである。しかし……。
 ここもまた、一気に川を遡った大津波に巻きこまれていた。

 その後、こんどは逆に大船渡から釜石を目指したときも、唐丹半島の汀に目をやりながら、立ち寄る縁(よすが)がなかった。
 日本という島国には、ことにもこの三陸のリアス海岸には、大小の入江に挟まれた小半島や崎・岬が数えきれない。
 その一つ一つに、入りこむたびに、半日がかりを覚悟しなければならない。昼食抜きくらいでは、間にあわないのである。

 去年(2013)4月、唐丹に入れたのは、本郷の地に「伝えつなぐ大津波」の碑ができたと、聞いたからである。大震災から2年の2013という年は、各地で復旧・復興の遅れをカバーするかたちで、さまざまなことが行われ、半ば慰霊碑・記念碑めぐりの旅のようだった。

 唐丹本郷は桜並木で知られ、地図にも〈花の名所〉マークが記されている。
 この桜並木は、1933(昭和8)年三陸津波からの復興と、皇太子殿下(現天皇)の誕生を記念して昭和9年に植樹されたものだ。
 大津波の傷痕なまなましい本郷港の近く、県道の辻に「伝えつなぐ大津波」碑はあった。黒御影石5枚を立て並べて効果的な造り。
 すぐ傍に、昭和8年の津波記念石もあった。

 さらに、そのすぐ上の小高いところに、「星座石」というのが珍しい。
 これは、享和元(1801)年に伊能忠敬が日本地図の測量に訪れたのを記念した碑と、それに黄道12宿といわれる星座を独自に配した石とを、唐丹の天文地理学者、葛西昌丕が建立したという。
 (ただし、碑がどのようなものか…がボクにはよくわからなかった)

 この春は、本郷よりもうひとつ奥、住民のほとんどが漁業関係という花露辺(けろべ)の浜を訪ねた。
 まるで転げこむかのような谷浜の高台に、「まんしょん、みてぇな」災害公営住宅ができたと聞いたからである。
「防波堤なんかで囲われちまったら監獄みてぇだしな」
 自分たちが住む浜の復興を他人まかせにはできない、ということで、住宅の高台移転と避難路・避難場所の整備を訴え、行政側を説得した、と。

 なるほど、この浜を生かすとなれば、それがよかろうと思われる。
 高台のひょろっとしたコンクリート建築、「災害公営住宅」と漁師のとりあわせは似合わない気もするが、「しょうがねぇさ、狭いもん」。

 ワカメやホタテの養殖を営む浜は、仕事に励む大人たちと遊ぶ子らとが、のどかに隣りあわせていた。
 




*写真=上段、(上)は唐丹湾小白浜漁港・手前に巨大な防潮堤が見える、(下左)は津波にやられた本郷の港2013年春、(下右)は港に近い県道の辻の「伝えつなぐ大津波」碑2013年春*
*写真=下段、(左)はナルホド防波堤には不釣り合いに見える花露辺の浜、(右)は斜面に建ち並ぶ花露辺の集落・高台の方に災害公営住宅が見える*