どこゆきカウントダウンー2020ー

2020年7月24日、東京オリンピック開会のファンファーレが鳴りわたるとき…には、《3.11》震災大津波からの復興を讃える高らかな大合唱が付いていてほしい。

鵜住居…消えた「防災センター」跡の虚脱/ 《3.11》2014春の巡礼・11日目(つづき)

-No.0236-
★2014年05月15日(木曜日)
★《3.11》フクシマから → 1162日
★オリンピック東京まで → 2262日




*「初鰹」の頃だというのに…カツオが見えない。いつもなら喧しいくらいワイワイ魚屋の店先を賑わすのに、ことしはショボショボ。漁があっても、型が小さい。まだ幼稚園みたいなのばっかり。例によってこういうことになると、取り沙汰される理由のアレコレ。でもね、根本は「獲りすぎ」。ことに、根こそぎ資源を掻っ攫っていく強盗まがいの「巻き網漁」はイケマセン。いい加減にやめましょうや、ニッポンでも*

◆うしなわれた目標、かえらぬ命

 「鵜住居」という地名には、記憶に刻まれるものがある。
 ボクの場合、この地名に出逢うと、連想はさらにリアスの北の鵜の巣断崖(田野畑村)へと翔ぶ。
 そこでは“鵜飼”の鵜(ウミウである)を捕まえる仕事が、いまも伝え続けられているのだが、ぼくの想いはさすがにそこより先(長良川あたり)までは及ばず、断崖にあやうくしがみつく。

 鵜住居のある箱崎という小半島は、大槌湾に面して、対岸は大槌の浜である。
 釜石市の「離れ」みたいなところ、といっていい。
 釜石市内からの国道45号が両石の恋ノ峠を越え、下ると鵜住居駅のところで鉤の手に曲がるあたりに、「鵜住居地区防災センター」があった。
 いい目標であった建物が、不意に哀しみのマトになった。

 そこは拠点避難所だった。
 拠点避難所というのは本来、津波がひいた後の救援拠点になる避難所のこと。海辺からは1.5キロほど離れてやや高く、津波の浸水想定地域外にはあったが、いざ緊急のとき、まず逃げる高台の1次避難所とは違う。そのための神社と寺は別にあった。

 けれども、肝心の避難訓練のときに、1年前にできたばかりの「防災センター」を使った。理由はいうまでもない、「年寄りに高い所は無理」という親切心から。それが仇になった。
 《3.11》の大津波警報を聞いた地区の人々の、多くがこの防災センターを頼って駆けこんだ。

 〈最悪の事態〉の想定を大きく超えた津波は、鉄筋コンクリート2階建ての防災センターを襲い、避難していた100人以上の人が濁流に呑まれた。助かった人はわずかに26人、63人が遺体で発見されている。
 ちなみに、1次避難所へと逃げた人たちは多くが無事だった。
「防災センターなら安全と思わせてしまった」
 という指摘がある。いっぽうで、
「あのとき神社や寺まで上がれったって、年寄りにはとてもとても、逃げきれやしなかったろう」
 という声もあった。

 いずれにしても、数多くの「かえらぬ命」とひきかえに、大きな課題が遺された。
 この建物も「のこすか、のこさないか」で意見がわかれ、結局「のこさない」ことになった。
 それはそれでよかろう…と思うのだが。
 
 このたび訪れたそこは、乾いて砂ぼこりの舞う空地になり果てていた。
 更地になった隅っこの方に、「追悼施設」の小さな木の小屋がぽつんとあるだけ、なんとも素っ気ない「施設」は、中の祭壇もあまりに素っ気ない。
 どこにも、道しるべひとつ、案内もないのだ。

 跡地には、なにかしら予定があるのだろう。それはそれとして…だ。
 「できるまで、これで我慢してもらおう」ということか。
 もう少し、なんとか、ならないか。
 いまの人が考える供養とは、こんなものなのだろうか。

 抗議のシルシか、跡地の真ん中あたりに、枯れた花束とローソクが、無造作に石ころで押さえられてあった。

 鵜住居箱崎半島へ、ぼくがはじめて立ち入ったのは、2012年夏のことだった。
 なんとなく、気がひけていた。
 鼓舞する気分で行ってみたが、案の定、そこはグァラングァランの世界であった。
 白砂青松の、海水浴場としても知られた根浜海岸は、ゴッソリ削り取られて跡形もなく、箱崎白浜の汀は足の踏み場もないありさまだった。

 ぼくの、このときの茫然とした目には、ほかに見えるものさえなかった。
 ナニもなかったかのように、静かに広がるウソみたいな海ばかり。 
 
 その海ぎわにある宿に、このたび、はじめて気がついた。
 裏山にジグザグつづく避難路に魅かれて、(こんどはここにも泊ってみよう)と思った。
 宿泊の動機にしては、ちょっと妙な気もしたけれど……。 





*写真=上段、(左)は津波に呑まれ解体撤去された「鵜住居地区防災センター」跡の更地・向うに見える盛土のあたりに鵜住居駅があった、(右)は跡地の端に建った「追悼施設」の素っ気なさ*
*写真=下段、(左)は箱崎白浜の海(2012年夏)、(右上)は復旧途中の白浜で行われたなにかのイベント(2012年夏)、(右下)は根浜の宿「宝来館」・裏山へとつづく避難路が目だつ(2014年春)*