どこゆきカウントダウンー2020ー

2020年7月24日、東京オリンピック開会のファンファーレが鳴りわたるとき…には、《3.11》震災大津波からの復興を讃える高らかな大合唱が付いていてほしい。

コロッセウム→スタジアム→昂奮の系譜/     さよなら旧…国立競技場につめかける人々

-No.0234-
★2014年05月13日(火曜日)
★《3.11》フクシマから → 1160日
★オリンピック東京まで → 2264日












◆5月7日、国立競技場スタジアム

 連休明けの「SAYONARA国立競技場」スタジアムツァーに参加した。
 受付の始まる10時前には、すでに行列ができていた。
 連休明けを狙ったのはボクだけではなかった…。
 ぼくは行列に並んで待つことがキライだから、ふだんならとうぜんキャンセルである。

 しかし、「2020TOKYOオリンピック」を見すえる者としては、見おとせなかった。
 解体工事の始まることになっている7月にむけて、いまここでは「SAYONARA国立競技場」プロジェクトが進行中。最後までガッチリ稼がせてもらおうという算段でもあろう。
 しめくくりの「ファイナルイベント」は5月31日だが、その前に、催行日に行けば大人1000円で参加(人数制限なし)できるのが「スタジアムツァー」というわけだ。

 それにしても、たいへんな人気。
 後から後から、加わる行列の人波がくねる。
 ぼくは、(自身がその渦中にいながら)行列を見やって「群れること」を考えていた。

 実際のところ、〈孤り〉が好きなボクも、〈群れ〉に魅かれることがある。
 ことに、〈さよなら・おわかれ〉と〈はじめまして・こんにちは〉が、人集めにはおおきな役割をはたす。
 ふだんはどうでもいいのだけれど、〈これでおわかれ〉だけには立ち会ってみたい、あるいは“連ドラ”の初回と最終回だけを楽しみにしている人もある。

 また、〈群れ〉ると人は〈我先〉を競いたくなる癖がある。
 生存本能の、なかでもいちばんに根源の、かなり根強い遺伝子かと思う。
 (この行列が我先に走りだしたらコワイな…)
 手渡された“パス”には5ケタ「18000」台の数字が刻印され、これはSAYONARAイベント・スタジアムツァーの「通し番号」とのことだった。
 〈群れ〉た人たちが、思わずたがいに顔を見あわせる一幕。

 スタジアムツァーは、競技場正面入口上の「東京オリンピック(1964)優勝者銘盤」を見上げることからスタート。
 アンツーカーのレンガ色に誘われて、足を踏み入れる競技場内は…なにしろ、広い。
 400mのトラックが…こんなにもでかく、長かったとは思わなかった。
 天然芝のグラウンドが、陽射しに蒸れる匂いがして、対角線が遠い。
 参加者たちは、思い思いに、トラックの100mスタート地点に立ち、第4コーナーの織田ポール(15m21㎝)を見上げ、あるいはスタンドに上って「勝利の女神像」をバックに記念写真を撮る。

 ぼくは…といえば、なにかしら身内に、ジワリと充ちてくるものがあるのを感じて、スタジアム上の高い空を見上げていた。
 その〈充ちてくるもの〉は、空からも降ってくるし、同時にアンツーカーからも沸き上がってくるようだった。

 いったん競技場の外に出て、アベベが先頭で帰ってきたあのマラソン門の脇に、「出陣学徒壮行の地」碑を見て、バックスタンドへ。
 一段と高いスタンド中央、最上段の聖火台の周囲に、人々は集い、正面スタンドの向うに新宿新都心のビル群を眺めながら、春のひとときをすごした。

 ぼくは…といえば、〈充ちてくるもの〉の正体「昂奮」と向きあっていた。
 想えば、スタジアムというのは不思議な昂奮醸成装置である。
 人の情念ミキサーかジューサーか、いずれにしても、その擂り鉢状の形態と、傾斜角度とがもたらす絶妙の仕掛けが、火種であり火床でもあった。
 ぼくは遠い昔、ギリシャ・ローマの、コロッセウムに想いを馳せる。
 すると自然、感得されるものがあった。
 (かならずしも大きさではない…な)