どこゆきカウントダウンー2020ー

2020年7月24日、東京オリンピック開会のファンファーレが鳴りわたるとき…には、《3.11》震災大津波からの復興を讃える高らかな大合唱が付いていてほしい。

浪板海岸に朝陽を迎え、吉里吉里をあとに…/《3.11》2014春の巡礼・11日目(4月13日)

-No.0232-
★2014年05月11日日曜日
★《3.11》フクシマから → 1158日
★オリンピック東京まで → 2266日






◆明日にむかって…来光に吉兆を願う

 旅先では、いつも朝の目覚めが早い。
 (ときには早すぎてまだ暗いことも珍しくない)
 この朝の目覚めは、ばっちり、どんぴしゃ。
 窓の外が明るくなりかけていた。
 待っていた、いい朝陽になりそうな予感。
 ぼくは素早く着替えて、ホテルの外に出た。

 ここ「三陸花ホテルはまぎく」は、波おだやかな海水浴場として知られた浪板海岸の、一段高いところにある。
 (かつては浪板観光ホテルといい、この位置にあってなおあの大津波にはなす術もなかった)
 あれからずっと、大槌を訪れるたび、ここを通りすがるたびに、新しく建て直されるの待ち望んでいた。
 この立地ならきっと、いい朝陽が見られるに違いなかったから。

 そのときが、いま、目の前にあった。
 朝陽は、まだ春浅い太平洋の冷気にふるえながら、徐々に明るさを増していき、湾の島影・木蔭をシルエットに曙光を投げかけた。
 ホテルの自室ベランダに顔をのぞかせ、歓声をあげる宿泊客もあった。
 ぼくらは、きょう大槌を後に、また巡礼をつづける。
 (いいシルシであってくれ)
 被災地すべてに願いをかけて…。

 別れを告げに、吉里吉里へ寄った。
 ここも復興への道のりは遠そうだった。
 震災1か月後に訪れたときから、ぼくは行ってみたいと思いつつ、吉里吉里駅にたどり着けないでいた。
 道がなくなっていたわけではない、片付かないままの細い道が、いつも首を横にしていた、「もう少し待ってね」とでもいうように。

 それが今回、やっと通れて、無人のホームに立てた。
 しかし、JR山田線の列車は来る気配もない、線路は錆びて、ところどころ歪み、枕木を伝って歩く人の足もとで、雑草が揺れた。
 「さんてつ(三陸鉄道)」は動きだしたというのに、コレはどうしたことか、このチガイはどこからくるのか…考えさせられる。

 朝の国道45号大槌バイパスは、工事関係もまじえて車の通行が多かった。
 これからの災害時、この町で「自家用車での避難」はどうか、考えた。
 海岸沿いの主要な道はこれ一筋しかなく、皆が車で避難しようとすれば、すぐに各所で渋滞が発生するであろう。
 リアスの谷では、やはり「車での避難は無理か」に思え…しかし、ふと昨日のSさんの話を想い出した。
 三陸自動車道は、いずれ遠からず通じて行く。そこまでのアプローチが確保できれば、なんとかなるかも知れない。
 さらに、臼澤さんのいっていた「人口5000人の町」が脳裡に浮んだ。
 以前の3分の1くらいの規模の、住みやすい町になっていれば、事情は大きく好転するようにも思われる。

 もちろんそのためには、集落・港津の統廃合などに、役場だけではない住民すべての、おおきな智慧と度量がいるわけだが…。 






*写真=上段、(上)は浪板海岸の朝陽「三陸花ホテルはまぎく」から2014年4月、(下左)はホテル建て替え中の浪板海岸海水浴場2013年4月、(下右)は上の朝陽をモザイクフィルターで撮ったもの・こんなアソビも以前には考えられなかった2014年4月*
*写真=下段、(上左)は震災1か月後の吉里吉里・後方左に吉里吉里小学校の屋根が見える2011年4月、(上右)は山田線の列車はまだ来ない・現在の吉里吉里駅2014年4月、(下左)は震災1か月後の吉里吉里の町2011年4月、(下右)は左とほぼ同じ場所の現在・瓦礫処理がすんで盛土がやっと始まったばかり2014年4月*