どこゆきカウントダウンー2020ー

2020年7月24日、東京オリンピック開会のファンファーレが鳴りわたるとき…には、《3.11》震災大津波からの復興を讃える高らかな大合唱が付いていてほしい。

大槌町旧役場の解体が始まろうとしていた/      《3.11》2014春の巡礼・9日目(4月11日つづき)

-No.0228-
★2014年05月07日(水曜日)
★《3.11》フクシマから → 1154日
★オリンピック東京まで → 2270日





◆ドウするツモリ…なんだろう?

 被災した大槌町旧役場の一部取り壊し作業が始まった。
 そのニュースが地元紙の一面に大きく報じられたのは、前日10日のことだった。

 《3.11》の津波大槌町での遡上高は11.8メートルというから、岩手県内でもさほど高いものではなかった。
 にもかかわらず、水門を越えてきた津波に、市街地のじつに52%もが浸水したのは、大槌湾に流れ込む大槌川が、左右の山地に挟まれ狭まるリアスの谷川そのもの、典型的な〈潮入川〉だったからである。

 すぐ南側に併行する小鎚川流域もあわせて、広範囲な馬蹄形に町は攫われた。
 そのさまは、航空写真集『津波被災前・後の記録』(河北新報出版センター)や、『東日本大震災津波詳細地図』(古今書院)を見ても明らだ。

 このようにして大槌町は、1万5000人あまりの人口の1割にちかい、1300余人の死者・行方不明者をだした。
 (旧)役場では、当時の町長はじめ職員40名が犠牲になっている。

 その記憶の襞あらわな旧庁舎を「解体」するか「保存」するかで、町民の意見はわれた。
 そうした末に現町長は、建物の一部(正面玄関を含む中央部分)を「震災遺構として保存」することにした。
 
 行ってみると、そこには大型バスが乗り入れて見学者たちが群れ、献花台の脇で、解体作業前の囲いが設置され始めていた。
 解体は、夏7月頃には終える予定という。
 解体には、国の復興庁から保存費用の支援があるそうだけれど。
 その後の維持管理費は、もちろん地元が負う。

 ぼくに「解体」か「保存」かを決める権利はない。
 が、この「一部保存」には首を傾げる。
 どうしたいのか、なにを根底に考えるのか…が、まったくワカラナイ。
 あるべき、決然とした意志も見えない。
 中身のない〈皮1枚〉遺して、どうするつもりなのだろう。
 






◆城山の桜…この春はまだ蕾が固かった

 高みに上る。
 役場のすぐ上、標高141メートルの城山に立つ。
 下では、いまも濃く漂う被災の匂いを胸に染ませ、上では、吹き来る風にこの町の明日を想う。

 よじ登る足掛かりさえ見いだせないほどに傾いた、ひしゃげたコンクリート基礎の水門が、海明を背にシルエットになっていた。
 振り返る後背の山林は、立木のままに焼け焦げている。
 津波に押し流された家屋や車から燃えあがった火が、運ばれた先の家々や山に延焼する。
 〈津波火災〉がこの大槌町にもあった。

 町立体育館の脇にある展望台には、いま、「希望の灯り」がともり、記念のレリーフが置かれている。
 展望台に隣接する墓地の、お地蔵さんが黙然と、この町と海のいまを見守っていた。

 じつはボクたち、去年(こぞ)の春も、ほぼ同じ頃にこの町を訪れ、この城山に立っている。
 そのときはちょうど山の桜の、蕾が(もうじき開く)柔らかさになっていたのがウレシクて。
 町で逢う人ごとに「咲きますよ、えぇ、もうすぐ」と、ふれてまわったものだった。

 その後に寒気が居座って「開花お届け」に失敗したのが、チョトほろ苦い想い出…。
 ことしの桜前線は、きのう「福島あたりまで来た」と聞いたばかりなのだけれど…。
 城山の桜はまだ、蕾が固かった。
 



*写真=上段、(上)は一部保存の解体が始まった旧大槌町役場、(下)大槌湾に臨む潮入川の水門*
*写真=中段、(上)は城山頂上から俯瞰する大槌町、(下左の2枚)は展望台公園の「希望の灯り」と記念のレリーフ、(右)は津波火災で焼けた城山の山林*
*写真=下段は、まだ桜のツボミが固い今年の城山からの風景…まだほとんど変化が見られない*