どこゆきカウントダウンー2020ー

2020年7月24日、東京オリンピック開会のファンファーレが鳴りわたるとき…には、《3.11》震災大津波からの復興を讃える高らかな大合唱が付いていてほしい。

「かき小屋」の在り方を考える…山田町/   《3.11》2014春の巡礼・9日目(つづき)

-No.0227-
★2014年05月06日(火曜日、振替休日
★《3.11》フクシマから → 1153日
★オリンピック東京まで → 2271日






◆なぜか…ふとその気になってしまったのだ、けれど

 重茂(おもえ)半島の、南部海岸線に出た道は、途中、宮古市から山田町に入る。
 開ける波静かな海は、山田湾。かき養殖の筏模様が美しい。
 昼近く、国道45号へと抜けた。

 (腹が減った)のは、朝から荒れたダートの林道走行(月山往復)などしたせいか。
「カキでも喰うか、名物だし」
 ふだん、好んでは食べないカミさんも「そうだネ」と珍しい。
「かき小屋…にするか」
 ぼくは、さりげなくいった。

 山田町の中心部あたりは、大津波にこっ酷くやられたままに見える。
「復興がねぇ、なかなか、進まないでいます」
 姉吉の浜で逢った工事責任者の方の言葉を想いだす。
 わが町を離れて他所の集落の復興工事にあたる、胸の裡は複雑なことだろう。

 山田町は、陸前高田市に似てリアス海岸部には珍しく平坦地の多いところ。海の幸カキで知られるが、どちらかといえば盛んなのは漁業よりも農業だった。
 《3.11》では、この町の800人強(人口の約4%)が亡くなったり行方不明になった。
 お隣りの大槌町とともに、人口比率にすると人的被害がとても多かったのである。

 しかし、復活(念のため“復興”ではない)の名乗りは意外に早かった。
 震災があった2011年の冬11月1日には、全国紙にこんな見出しの記事が載った。

「観光名物〈養殖カキの食べ放題〉復活」

 捌け口のない……違和感……。
 扱いは小さなものだったが、それを読んでぼくはガーンと、頭をぶん殴られたような衝撃をうけたことを、忘れない。

 (よせやい、冗談じゃないぜ)と、たまらなく哀しくなった。
 山田町で、津波で壊された「かき小屋」が再建(費用は約1700万円)された…のは、いい。
 カキは、奇跡的に回収された養殖筏で命をつないだ山田湾産…だという。それも、いい。
 〈カキ養殖〉の早い復活はヨカッタけれども。
 どうして〈食べ放題〉まで復活させなければならないのか。
 (それはナイだろう)

 ちょっと、考えてみてほしい。
 すでに大災害から半年あまりを経たその頃、ざんねんながら見えてきたこと、認めざるを得なかったことは、被災地の“復興”はままならない、という事実であった。
 復興の祈りは早くも、なかば諦めと焦燥の彼方になっていた…といってもいい。 
 とりあえずの“復旧”さえもが、国を挙げてのドタバタ騒ぎでしかなかった。
 
 《3.11》は、なんであったか。 
 ぼくたちニッポン人は、この大震災・大津波を機に、人と人との繋がり(ひとはそれを絆という)や暮らしの諸事を見直し、〈生き方〉を改めたのではなかったか。
 原発爆発という未曽有の過酷な事態、深刻な放射能汚染に曝されたなかで、ぼくたちニッポン人はやっと、食物のありがたさ、安心安全のかけがえのなさに、いまこそハッキリ気づいたはず、ではなかったか。
 これだけの大事があって、さまざま考え直すきっかけのときに、頭が…発想が…相も変わらずなのは情けない。

 そこから芽生えるはずの食に対する姿勢は、「たいせつ」に「いただく」こと。
 けっして、無茶喰いなんぞであってはならない。
 いうまでもない、「食べ放題」など文化じゃない、「意地汚い」だけのこと。
 そういうイヤラシイ根性を「さもしい」というのだ。

 めでたい〈カキ養殖〉“復活”が、以前のままの〈食べ放題〉“復旧”でしかないのは、痛ましすぎる。もう、いいかげんにヤメにしようぜ。
 “奇跡的に回収された養殖筏で命をつないだ牡蠣”ならば、お1人さま2500円は〈食べ放題〉じゃなく、ただ1粒の値いでもよかろう。
 「復活を喜んで」食べようという支援の客には、せめてそれくらいの度量がほしい。
 提供する店の方にも、ここでひと踏んばり、新手の“復興魂”をぶつけるくらいの心意気がほしかった。

 ……と、そのころ抱いた偽らざる心境に、いまも変わりはなかったが。

 じつは《3.11》後の早い時期、このあたりに、頼りにできる宿泊施設は山田町のビジネスホテルくらいのものだった。
 ぼくたちのような個人レベルのボランティアや、復旧・復興工事関係者たちにとって、ほぼ2年間は「ほかに宿がない」ような有様だったのである。

 食べ放題の「かき小屋」は宿から近い所にあった、けれども、なかなか立ち寄るチャンスもなかったし、以上に述べたような気分もあった。

 この日、ふと寄ってみる気になったのは、自分でも思いがけないことだったし、ちょっとした思いつきがその気にさせた、こともある。
 
 ぼくは「食べ放題」を容認したわけではなかった、けれども、さすがに1個だけ食べて店を出るというのは、気障にすぎる気がしていた。
 少なくとも現実的とはいいがたい。
 そこで、考えて、3個だけ食べて「ごちそうさま」にしようと、きめた。
 (これならヨカろう)

 ところが現実は、とても皮肉でオカシなものだった。
 店は「予約制」であった。考えてみればトウゼンだ。
 40分間の食べ放題に、中途からの参加は受けられない。
 次の1時間後でよければ「どうぞ」といわれたが、すでに、その気はなくなっていた。

 (これは、最初から縁がなかったのか……)
 (それとも、やっぱり節を曲げちゃいかんよ、ということなのか……)

 このたびの巡礼の、テーマは「風化」。
「自然現象に対する用語は、被災という社会現象にはなじまない」
 という意見があるのも、心えている。
 
 それはそれ、として。
 被災地の人々のあいだに、「もう忘れられてしまったのではないか」という、たまらない寂寥感があるのは事実。
 いっぽうで、同じ被災地の方々の心に、ともすれば「もとにもどりさえすれば」という、かたくななわがままがあるのも事実。
 風化は、ざんねんながら、そこにもある。
 
*写真は山田町、(上)はカキ養殖筏を浮かべる山田湾浦の浜海岸(手前に見えるのは復旧の盛土)、(下左)はいまだに大津波の傷痕のこる岸辺、(下右)は食べ放題“復活”で売る「かき小屋」*