どこゆきカウントダウンー2020ー

2020年7月24日、東京オリンピック開会のファンファーレが鳴りわたるとき…には、《3.11》震災大津波からの復興を讃える高らかな大合唱が付いていてほしい。

「ここより下に家を建てるな」重茂・姉吉浜/   《3.11》2014春の巡礼・9日目(つづき)

-No.0226-
★2014年05月05日(月曜日、子どもの日
★《3.11》フクシマから → 1152日
★オリンピック東京まで → 2272日

*早朝5時すぎ、すでに目覚めていたボクは、下からズンと突き上げる衝撃と同時に(初めてのことである)“唸り”ともいうべき響きを感じて、瞬間、大事に身構える態勢になっていた。首都直下地震が(来たかな)と感じた。そのあと横揺れが少し長かったが、おさまってくれてヨカッタ。震源伊豆大島沖の深さ約160Km、規模はM6、都心で震度5弱を観測。《3.11》以来の大きな揺れだった*







◆明快に心もちの油断を戒める大津波記念の碑

「高き住居は児孫の和楽 想へ惨禍の大津波 此処より下に家を建てるな」
 これが先人からの智慧の言の葉、碑面に刻まれた警句である。
 さらに、つづく。
「明治二九年にも 昭和八年にも 津波は此処まで来て 部落は全滅し 生存者は僅かに 前に二人 後に四人のみ 幾年経るとも 要心すべし」

 これが、いま、人々によく知られるようになった姉吉(あねよし)の大津波記念碑の碑文である。碑は自然石の小ぶりなものだが、伝えていることはじつに大きい。
 その昔は、浜近くに人々の住み暮らす集落があったせいで、なにもかもが津波に呑まれてしまったのだった。しかも、繰り返し…。

 いま現に、集落の民家はこの碑のちょっと上までにあって、下には皆無。
 少し下がったところに、こんどの《3.11》の「津波到達地点」を示す真新しい石柱が素っ気なく建てられていた。事実のみ標す…というように。
 かつて、この地への津波遡上高は40.4メートル。観測史上最高という。
 そして、今回の遡上高が38.9メートル。

 姉吉の集落は現在、11世帯30人ばかりと聞いた。
 “リアスの谷の標本”とでもいいたいほどに、左右に切り立つ山崖に挟まれて、狭くある。
 生業は漁業、いうまでもない。
 この先人の戒めを守った集落が、このたびの津波に、1戸の住宅被害も1人の犠牲者も、ださずにすんだ。

 坂道を下った港の、小ぢんまりとした岸壁には、磯舟を上げ下げするクレーン設備。
 漁師たちの持ち舟などは、少し離れた空き地の台車に載せられてあった。必要に応じて車で牽引する、ヨットのような扱い、小さな浜はこれでいい。

 港の脇からつづく細道は、“本州最東端”の魹ヶ埼(とどがさき)灯台へ、道標には「これより3.8km」とあった。
 





 港に近いプレハブの事務所を覗くと、港湾修復工事の現場責任者と、漁師が1人。
 聞けば、防潮堤などの工費はおよそ4億円とか。
 ぼくがビックリ顔になったからだろうか。
「この重茂(おもえ)というところは、海磯の好条件に恵まれて漁場はいいし、漁業も盛んでしてね、後継者の心配もないんですよ」
 と、工事担当者が笑顔で話してくれた。この方は自身も被災者、山田町の人という。

 傍らで、黙って頷く漁師さん。この人は「津波の戒め」について尋ねたときも、ボクにあらかた喋らせておいてから(うん)とひとつ頷いただけ、碑(いしぶみ)みたいな人だったが、笑顔がよかった。
 
 (そういえば……)
 想いあたることがあった。 
 月山から下りて、重茂半島内の道を巡って小さな集落を縫いつつ、ぼくが感じとっていたのは(鄙びてはいない)空気だった。
 漁師町にはよくあることだが、暮らしぶりがどこか鷹揚で、屈託がないのだ。

 こんどの大きすぎる災害で、いちばんに案じられるのは、確実に「いくつかの集落が消滅するだろう」ということである。
 趨勢やむなし。
 だがしかし、いっぽうには、この姉吉のように存在感をつよくする集落もある。
 「意気に感ず」「その意気やよし」がなければ、心もとなく、淋しすぎる。





 山田町に向かって、次の集落、千鶏にも《3.11》の「大津波記念碑」を見た。
 御影石に刻まれた碑文は、以下の7項目。

 一、大地震の後には津波が来る
 一、大地震があったら高所へ集れ
 一、津波に追われたら何処でも高い所へ
 一、遠くに逃げては津波に追い付かる
 一、常に逃げ場を用意して置け
 一、一度退避したら一時間は待つこと
 一、大津波の前は震雷光がある

 ちなみに、この地区の犠牲者32名、うち地区民は25名。
 千鶏の浜は、姉吉にくらべて大きく開けており、見た目の条件はずっと良いのだ。
 (なのに、どうして、こうなった)
 ぼくには(悔いと口惜しさがいっぱい)に思えた。
 
*写真=上段、(上左)は姉吉の「大津波記念碑」から上の集落を観る、(上右)は「ここより下に家を建てるな」と諭す「大津波記念碑」、(下左)はこのたび《3.11》の「津波ここまで」碑、(下右)は姉吉の浜へと下る道、碑より下に民家はない*
*写真=中段は姉吉の浜、(上2枚)は集落の方を(下2枚)は外海の方を、それぞれ見たところ*
*写真=下段は隣りあう千鶏地区、(上左)は昭和8年の「大津波記念碑」、(上左)千鶏の浜は姉吉より大きな湾入で恵まれて見えるが…、(下)はこのたび《3.11》後の「大津波記念碑」*