どこゆきカウントダウンー2020ー

2020年7月24日、東京オリンピック開会のファンファーレが鳴りわたるとき…には、《3.11》震災大津波からの復興を讃える高らかな大合唱が付いていてほしい。

月山へ…ひやひやの林道ダートを駆け上がる/《3.11》2014春の巡礼・9日目(4月11日)

-No.0225-
★2014年05月04日(日曜日、みどりの日
★《3.11》フクシマから → 1151日
★オリンピック東京まで → 2273日






◆食虫植物の“落とし穴”のごとき宮古

 ウツボカズラ…であったか、壺型に変形した葉に水をたくわえた中に虫を誘いこんで捕食する、食虫植物をそれは連想させた。
 地図で見る宮古湾。
 北東から南西方向へと大きく縊れ込む、そのカタチと大規模な湾入は、陸中海岸でも特異なものだった。
 津波の押し寄せる角度によっては重茂半島が楯になって守られる、けれども、逆に真っ向から(壺に嵌る)ことになれば…オソロシイ。

 こんどの《3.11》大津波はどうやら、その(壺に嵌る)ケースに近かったらしい。
 山田町の方から浜街道(国道45号)を行き、重茂(おもえ)半島との境の峠を越えて下ると宮古市津軽石。
 宮古湾最奥の(壺の底)へと流れ込む、津軽石川両岸の被災の大きさに、湾内で増幅され押し寄せた津波の威力の、並々ではなかったことがわかる。

 津波は、高さ7メートル・幅100メートルの水門を難なく乗り越え(この河口に防潮堤はなかった)て町並みを攫い、海岸線から約1キロ奥の高台にある宮古工業高校の校庭まで達している。
 河口部に造成されてあった運動公園や野球場も跡形なく……瓦礫の集積場になっていた。

 ちょうど1年前、2012年春の巡礼の折には、水門より上流にのこされた橋を渡って、ぼくは重茂半島の「御殿山」と呼ばれる月山の頂上を目指そうとした。
 そこからは“食虫植物の水壺”、宮古湾の全貌が望めるという。
 そのときの旅のテーマが「高みに立つ」ことでもあった。

 ……けれども……。
 湾岸半島部の道路はまだ、災害修復の真っただ中。工事車両に紛れて乗り入れた格好の都会ナンバーの乗用車は、それだけで生活道路の迷惑モノでしかなかった。
 半島内陸部への上り口、白浜の集落まで行って土地人に道を尋ねたのは、幅の狭い未舗装林道には要注意と、宮古市の案内に書かれてあったからである。
 震災の影響のほども知れない。

「さぁ、どんなことになってるんだか…なぁ」
 (ナニしにキタか)と訝る目で、アレから行ったこともないし、行ったという人の話も聞かないようだと。
 (失礼しました)
 この場はひとまず、ボクは引き下がるしかなかった。

 それから1年経ったこの日、(もう一度行ってみよう)とボクは思った。
 それほど魅かれるものがあった。
 湾岸の道路はまだ工事中だったが、難所は乗り越えたようだった。
 白浜の集落も陽がさして、明るい印象になっていた。
 (ふだんと変りなく見える)車の往来もあった。
 こんどは道を尋ねなかった。

 白浜峠から月山頂上への林道は、距離にすればわずか4キロ。
 しかし、崩れ落ちた大小の石ころがゴロゴロする、荒れたダート。ハンドルをとられつつ低速で這うように進むうちに、喉はカラカラ。
「こっちは谷よ…ギリギリよ…」
 かみさんの声も枯れてくる。
 林道から谷へ転げ落ちかけ、樹にひっかかって助かった友の話を想いだす。

 どうか対向車だけはないように、祈りつつ…。
 ようやっと辿り着く。
 標高456メートルの山頂からの眺望は、予想どおりの素晴らしいものだった。

 半島の先端、閉伊崎から深く縊れ込んだ宮古湾の巨きさ、標準レンズのワンショットでは最奥まで納めることができないほどの圧倒的なスケール。
 吹きわたる風が低く唸るのを聞きながら、しばらくボクはそこで、アノ大津波の、うねり、盛り上がり、波頭を砕けさせつつ転び込みゆく(壺に嵌った)態を、茫然と頭に想い描いていた。

 目を転ずると、南の方には“本州最東端”魹ヶ崎(とどがさき)の突き出しているのが望めた。
 これから訪ねる姉吉の浜は、ちょうど、そのとば口あたりに位置する。

*写真、(上)は月山頂上から宮古湾方面の眺め(右から左へ大きく湾入しているのがわかる、右端に見えるのは浄土ヶ浜)、(下左)は月山から下るヒヤヒヤの林道ダート、(下右)は月山からトドヶ崎方面の海景遠望*