どこゆきカウントダウンー2020ー

2020年7月24日、東京オリンピック開会のファンファーレが鳴りわたるとき…には、《3.11》震災大津波からの復興を讃える高らかな大合唱が付いていてほしい。

よくぞ蘇った「さんてつ」との出逢い/      《3.11》2014春の巡礼・8日目(つづき)

-No.0223-
★2014年05月02日(金曜日)
★《3.11》フクシマから → 1149日
★オリンピック東京まで → 2275日









◆4月10日、木曜日、昼ころ。

 すっきりしない雨模様の下北から、ひたすら走って、三陸北部沿岸へ。
 岩手県野田村の陸中野田駅に出たところで、ようやく天候も回復、4月6日に全線復旧したばかりの三陸鉄道(そのへんの事情については、No.0129、1月28日の記事に既報)、北リアス線の発車に迎えられた。
 
 なにしろ、ウレシかった。
 陸中野田駅の女性駅員さんに「おめでとう」の声を投げかけた。
 このあたりでは、地震の揺れよりも大津波の被害が激甚だった。
 直撃を喰らった「さんてつ」線路は、その内側を通る国道45号を越えて内陸へと、コンクリートの枕木ごと持って行かれたという。
 リアス海岸の深い谷間に、高い橋脚を連ねて3年ぶりに、開業30周年の年に悲願の再出発を果たした鉄路であった。






◆北山崎は風にむせんでいた

 陸中海岸一の雄大な海景といわれる北山崎には、これまで立ち寄る機会がなかった。
 谷はやはりどこまでも深く、遠い海景は風にむせび、煙っていた。
 この海を、大津波にのまれた谷を、語り継ぐ「サッパ舟アドベンチャークルーズ」に、怖いながら心ひかれるものがあった。
 けれども、乗船には予約が要るとのこと。巡礼の身には、それが難しい。
 天候次第で欠航もあるというし……ときをあらためるとしよう。
 海岸部は復旧工事が進んでいたが、あたりに人家らしいものは見あたらなかった…。
 “サッパ舟”の出る港に、ぽつんとホテルが1軒。










◆全線で最後の再開、島越(しまのこし)駅

 台地に上って田野畑駅、そして島越駅。
 人家とぼしく、やっぱり、人気がなかった。
 かつて、ここにはニット帽を被ったような青い円屋根の駅舎があり、周辺には小さいながら街区もあって絵本の世界のようだったけれど、そのほとんどすべてが大津波に呑まれた。
 (ボクの思い出も途切れた……)

 島越駅は「さんてつ」全線で、最後の再開になった。あれから3年間、まったく列車の姿を見ないできた駅である。
 盛土の路盤はまだ仕上げの工事中であり、その傍らには『グスコーブドリの伝記』に因んで命名された「カルボナード島越駅」の賢治記念碑が奇跡的に遺っていた。

 《3.11》後、代替バス会社便は内陸寄りの国道45号を通って、沿線各駅に寄って行くのは村営バスだけ。災害公営住宅も駅から離れた高台に建ち、鉄道が開通しても更地のままの駅前が多い。
 島越駅もそのひとつ。
 これからどうなっていくのだろう。
 被災地の人口流出はとまらず、「さんてつ」も沿線の町村も、前途が多難なことだけは間違いない。
 (アテにならないJR…については後日、お話しよう)

 島越の新駅舎完成は7月の予定という。
 また来よう。
 この駅と周辺の行く末も、見守っていかねばならない。
 
*写真=上段、(上左)は三陸鉄道北リアス線・陸中野田駅付近(野田村)、(上右)は復旧工事中の十府ヶ浦(野田村)、(下右)は三陸鉄道北リアス線野田玉川駅(野田村)、(下左)は同じく野田玉川駅堀内駅間の線路と港(普代村)*
*写真=中段は田野畑村、(左)は雄魂壮大な北山崎の海景、(右上)は北山崎から下った明戸の浜、(右下)は大津波語り部“サッパ舟”の出る羅賀の港*
*写真=下段はいずれも田野畑村三陸鉄道北リアス線・カルボナード島越駅のいま2011春と遺された宮沢賢治記念碑*