どこゆきカウントダウンー2020ー

2020年7月24日、東京オリンピック開会のファンファーレが鳴りわたるとき…には、《3.11》震災大津波からの復興を讃える高らかな大合唱が付いていてほしい。

見すごしにはできない「仏ヶ浦」/      《3.11》2014春の巡礼・7日目(つづき)

-No.0218-
★2014年04月27日日曜日
★《3.11》フクシマから → 1144日
★オリンピック東京まで → 2280日





◆4月9日(水)、“まさかり”の刃渡り、仏ヶ浦へ

 大間原発から南へ、途端に車も人影も少なくガランと空いた道を行く。
 しばらく走って、佐井。港からは青森行き高速旅客船の便がある。夏季2往復。
 ちょうど青森港から着いた便に、乗客は地元の、病院通いの女性が1人。
 「交通費も、時間もネ、海の方がず~っと、頼りになるもの」

 さらに走って、福浦。“最果て”の漁村はウニ漁で知られる。
 春4月1日から始まる「篭ウニ漁」の餌はホンダワラなどの海藻類、漁師たちは早朝から海上で待機して早獲りを競う。制限時間は6時から7時までのカッキリ1時間、乱獲を防いで資源保護、あわせて市場価格の安定もはかる。
 そういえば大間の、奥戸の漁師も「いまぁウニ漁だぁ」と張り切っていたっけ。
 初夏になれば、箱メガネで海底を探る「突きウニ漁」も始まる。

 そうして福浦から先、道は一気に曲折の振れを大きくして崖上へと迫りあがって行く。 
 
 “まさかり”の刃渡りに譬えられる下北半島西端のきわどい懸崖、その中ほどに現出する浄土「仏ヶ浦」への道は、ボクにとって特別な道、「魂の道」といってもいい。さほどに避けては通り難い、下北に足を踏み入れたら事情の許すかぎりは立ち寄る、パワースポットのごとく吸い寄せられる感さえある。
 津軽海峡の潮流に正対する天と海との間(あわい)には、ぽっかりと西方に遮るものがない。

 霊妙奇瑞などといったら抹香くさくなってしまうが…しかし…青みがかった白い岩肌が屹立林立して仏の群像を想わせ、懸崖の波うち際に密やかに鎮まる浜砂は天然の神妙にちがいない。
 ガイドブックの「地の果ての極楽浄土」という表現はオカシなものだが、フム…そんな感じがまぁしないでもないのだ。

 水上勉原作、内田吐夢監督の映画『飢餓海峡』の最重要ポイントとなった場所、ぼくの人生にとっても大きなポイントなったところである。
 内田吐夢さんには、その後いちどお逢いしたことがあり、「抽斗はたくさん用意しておいたほうがいい」といわれたのを、よく覚えている。

 水上さんの原作は後に、「流れのきわめて速い津軽海峡を手漕ぎの舟で渡るのは不可能」という指摘がなされたりもしたが、ぼくの感想はずばり、人間という生きもの存在の底力に賭けたい気分のほうが濃厚だった。
 海流には、主流のほかに反流も沿岸流もあって、複雑をきわめる。
 あの《3.11》大津波にもっていかれたモノたちの、遥かに遠い行く末を見ても明らかなように……。

 しかし、現実場面での「仏ヶ浦」に、「ほとけ」の真相が観られることは稀有であった。
 ぼくが出逢えたのもただ一度きり。
 それは20年も前の盛夏。涼風の渡りはじめた午後遅く、大間港発のフェリーになんとか間にあうぎりぎりまで、待ちに待ったとき。
 岩肌に斜陽の射す角度もよく、静謐な夕凪の海を前に、浄土の群像は現出した。

 それっきりである。
 この春の「仏ヶ浦」も、まだ冬枯れたなかに身をすぼめたいた。

 懸崖の道、国道338号はこの先すぐに海から離れ、“刃渡り”南端の脇野沢までは通行止めが解除になっていなかった。
 迂回して通った川内ダム湖の、水面には厳冬の堅い氷がまだ溶け残っていた。
 宿をとった、むつ市。大湊の釜伏山展望台(879m)へのドライブ・ルートも、開通は5月の連休から、とのこと。半島グルリ360度という、絶景眺望の愉しみはまた先のことになった。




*写真=上段、(左)は青森-脇野沢-牛滝-福浦-佐井航路の高速旅客船「ポーラスター」、(右)はウニ漁で知られる福浦漁港*
*写真=下段、(上)は2014年春現在の仏ヶ浦、(下)はこれぞ浄土の景1993年夏の仏ヶ浦夕景*