どこゆきカウントダウンー2020ー

2020年7月24日、東京オリンピック開会のファンファーレが鳴りわたるとき…には、《3.11》震災大津波からの復興を讃える高らかな大合唱が付いていてほしい。

なんかあったらお陀仏の…原発・大間/   《3.11》2014春の巡礼・7日目(4月9日)

-No.0217-
★2014年04月26日(土曜日)
★《3.11》フクシマから → 1143日
★オリンピック東京まで → 2281日







◆4月9日(水)、大間航路には新造船の姿、輝いていたけれど…

 函館フェリーターミナルの朝は、いつものように海峡の強い風の中だった。
 港内に入ってくる新しい船体が、白く輝いて見えた。
 これから、この船に乗って大間へ渡ろうという船客たちが、入港に気づいて岸壁に出迎える。
 ふんいきが、いつもとちょっとばかり違う。
 港は新装、船も新造…新しく、若がえるのはやっぱりウレシイ。

 津軽海峡フェリーの大間-函館航路に、デビューしたばかりの「大函丸」。
 この船の新造にあたっては、大間町から相当な資金提供があったという。“まさかり”に譬えられる下北半島の突端、大間町からは「むつ」より「函館」のほうが近い。むかしからの地縁も深いのだ。
 大間原発建設差し止め提訴が函館市からなされたとき、大間町は静観するしかなかった。海峡圏のよしみを想えば、遣る瀬無いことだったろう。

 新造船になっても、朝夕2往復の就航にかわりはなく、青森-函館航路の1日8往復には比べるべくもなく、ほかの利便・サービスにいたっては雲泥の差といっていい。船体の大きさも半分くらいしかない、あくまでも“地域の足”だった。
 大間行きの朝便に乗ったこの日の客、人数は30人たらずで、旅行者らしい姿はボクらを含めて3組くらいしかなかった。

 その朝の函館山は好天を思わせて望まれたのたが、港を出るとまもなく、海峡は汐荒く風も烈しく変貌した。

大間原発はデカくなっていた

 航路は短い。
 1時間半ほどで大間港に入ると、こちらの港も装いを新たに、ターミナル・ロビーには巨大「大間マグロ」の造りモノが観る人を圧倒していた。
 潮風に「原発マネー」のにおいがする。

 大間原発は(町外れにある)印象だったが、フェリーから走り出るとすぐ港外に建ちはだかり、2年前、建設自粛中のときにはなかったデカさがハッキリしてきた。
 ただし、容れモノだけの寒々しさはいかんともしがたく、こっちは“裏口”ということか、舞台裏の乱雑さで資材やゴミがとり散らかっている。

 南の奥戸(おこっぺ)漁港側へと回り込むと、明日の出漁準備に余念がなかった漁師が船から「写真かぃ」とシオカラ声をかけてきた。
「あんたみたいな人が多いわなぁ、近ごろ」
 レンズを向けようとすると手を払って、「なんかあったらお陀仏のツラなんか撮るなょ」怒鳴られたが顔は笑っていた。原発の賛否は知れない。

 2年前には岸壁のあたりで遊んでいた子たちが、きょうは見えなかった。
 春休みをおえた学校は、新学期が始まったばかり。
 風が刺すように冷たく、突堤に立つと波間へ突き落とされそうだ。それにしても…。

 (愛想も、可愛げも、なんもねぇな)
 原発、睨んで思う。
 開発といっても、人を呼び集める目的の建物ではない、寄せつけない忌避の建物である。これを見て気もちがいい人は、まず無かろう。けれども、それがおこす電気に、人は平然と擦り寄る。
 生きものを殺すのは「残酷だ」という、おなじ人が屠殺・処理された肉を「うまい」と喰らって平然としているのと、かわらない。
 







*写真=上段、(上2枚)は函館港津軽海峡フェリー「大函丸」、(下左)は荒汐洗う大間埼の灯台、(下右)は大間ターミナル・ロビーの「大間マグロ」オブジェ*
*写真=下段、(上2枚)は現在も工事中の大間原発、(下2枚)は2012年春建設“自粛中”当時の大間原発