どこゆきカウントダウンー2020ー

2020年7月24日、東京オリンピック開会のファンファーレが鳴りわたるとき…には、《3.11》震災大津波からの復興を讃える高らかな大合唱が付いていてほしい。

汐首岬のむこう17.5キロに原発あり/     《3.11》2014春の巡礼・6日目(4月8日)

-No.0215-
★2014年04月24日(水曜日)
★《3.11》フクシマから → 1141日
★オリンピック東京まで → 2283日





◆4月8日(火)翌朝の津軽海峡越えにそなえて函館へ

 翌9日には、下北半島へと海峡を渡る。
 それにそなえて、前日に海峡西部の渡島福島から函館に出たのは、大間港行きのフェリ-朝便に乗りたかったから。
 それと、もうひとつには、海峡越しに大間原発を望む“極近”の地理感を確かめてもおきたかった。

 ぼくらが東京を発った日に、函館市が「大間原発差し止め(建設中止)」を提訴した。
 函館は、海峡を挟んで大間原発と最短23キロという近間にあり、にも関わらず「なんの相談もなしにリスクの大きな原発建設が進められるのは納得できない」訴えは、とうぜんだろう。
 天気がよければ、函館山からも大間原発が望めることは聞いていたけれど、この機会にシッカリとわが目にしておきたかった。

 しかし…空は、あいにくの花曇りとでもいいたいような風情、海峡の視界は靄っと霞んでいた。
 念のために問い合わせると、函館山へのマイカー開放は4月20日とのこと。いまはケーブルカーで上るしか手がなく、また上ったとしても、とても対岸本州を望める状況ではなかった。

 やむなく、午後の天候回復を待って海峡の東、恵山方面へと車を走らせた。
 いまは函館市に合併された戸井町に、汐首岬というのがある。
 崖の上に灯台が立つだけの、道路脇に駐車スペースひとつないながら、その名からは海峡の潮流のほどが偲ばれる。
 一帯は真昆布の産地としても知られる狭小な浜つづき、夏を迎えればアミノ酸の香気ただよい、ぼくはコンブ干し場の風に酔うのが好きだった。
 
 この岬から、下北半島大間崎まではわずか17.5キロ。
 右手に間近な函館山の、その西向うに霞む松前の白神岬からは津軽半島竜飛崎までが19.1キロ。
 津軽海峡にトンネルを掘ることになったときには、もちろん下北大間-戸井の東ルートも候補に挙がったのだが、隧道を掘るには海底が深すぎたために津軽-白神の西ルートに最終決定(1968=昭和43年)した経緯がある。

 汀に沿って縫い進む国道278号の背後、灯台のある崖上を跨いでのこるアーチ橋(近代土木遺産)は、鉄道計画線の跡である。戸井線といった。
 ぼくが生まれる前の戦時中(1937年)、軍需物資輸送と要塞建設を目的に実現が急がれ、路盤は九割方までできていながら遂に日の目を見ることはなかった。

 それほどに魅力の近間な海峡であった。
 下北半島側にもとうぜん、おなじように鉄道建設の動きがあったけれども、こちらの大間鉄道計画も立ち消え、いまは下風呂温泉(風間浦村)に遺構の鉄道アーチ橋が「メモリアルロード」としてのこっている。
 海路に霞んで、生憎きょうは見えなくても、それほどに近い。
 30キロ圏は、いま原発立地周辺自治体に重い課題の、地域防災計画圏である。

 アーチ橋のすぐ下に民家がある。
 崩れたら怖い話をむけると、この家に住む老人は薄く笑って首を振るだけだった。
 現実にこのアーチ橋は崩落が懸念されており、改良と解体の両面睨みで対策が考えられているらしい。戦前も終戦間近の頃の構築物は、粗悪な材料などなにかと心配なことだが、それでも原発事故「万が一」の酷烈きわまる被害にくらべたら、対処は容易に違いない。

 結局、この日は午後も海峡は靄ったまま。
 翌早朝。函館駅前のホテルから正面に眺めた函館山の空は晴れて見えたが、ヤムナシ……。



*写真=上段、(左)は汐首岬の鉄道計画(戸井線)跡のアーチ橋、(右)は対岸間近に下北半島の陸影を望むコンブの戸井浜(撮影93年夏)*
*写真=下段は、ホテルグランティア函館駅前から眺めた函館山界隈*