どこゆきカウントダウンー2020ー

2020年7月24日、東京オリンピック開会のファンファーレが鳴りわたるとき…には、《3.11》震災大津波からの復興を讃える高らかな大合唱が付いていてほしい。

アンコウについて…北茨城・平潟港のこと/《3.11》2014春の巡礼・1日目(補遺)

-No.0212-
★2014年04月21日(月曜日)
★《3.11》フクシマから → 1138日
★オリンピック東京まで → 2286日








◆思い出すままに…10年前の平潟港

 きのう4月20日の記事を書いているうちに、アンコウについて、平潟港について、さまざまに思い出すことどもがあった。

 10年ほど前のことになる。
 ボクはそのころ、なぜかアンコウに興味津々であった。
 海の表層を活発に泳ぎまわる青魚たちから、深みに潜み棲む底魚たちへと食指が動いていった…といっていい。
 神秘と珍奇、グロテスクな容姿に魅せられた…といってもいい。

 神田須田町の「いせ源」、“わりした”味の「あんこう鍋」に、なんとも粋な酔いごこちを味わってしまったせいもあった。
 本場のアンコウを訪ねて北茨城の平潟港へでかけた。
 そこでは、濃厚な肝溶き味噌味の「どぶ汁」鍋を味わった。
 「あんきも」は、いってみればニッポンのフォアグラ。
 鮮度がよくても、淫靡な味わいをもっていた。

 じつをいうと、このときから、ボクは食味としてのアンコウから気もちが離れた。
 いっぺんで飽きてしまった…そういうことがあるものだ。
 「いせ源」の“わりした”味には、磨かれた料理としての持ち味があった。
 「どぶ汁」の脂濃さは、別物である。
 「アンコウの七つ道具」という、食材にも程度があった。

 その頃から、本場平潟のアンコウは衰退気味であった。
 型が小さく、資源が細り、いじけてきていた。
 その頃から、アンコウの漁場は北の海に移っていた。
 北海道では、アンコウはそれまで「ほっちゃれ(棄てもの)」だった。
 いまの本場は津軽海峡下北半島・下風呂温泉の名物料理になっている。
 (いせ源のアンコウも海峡モノのはずだ…)

 それでも10年前、平潟漁港のセリには活気があった、魚も活きがよかった。
 その頃と、見た目に変わりはない、いまの平潟港だけれども…。
 フクシマ放射能汚染の悪影響は、ずぶ濡れ雨合羽のごとくズシリと身体を蝕んで重い。

◆もうひとつは〈アンコウの吊るし切り〉

「ぶよぶよの魚体は、そのままでは手に負えないので、腹にたっぷり水を流し込み、鉤に吊るしておいて捌く」
 …というのは、あくまでもパフォーマンスであって、けっして包丁技(調理技術)ではない。
 あたりまえだが、和の料理人なら俎板の上で、上手に捌き切る。
 ボクがお願いして披露してもらったアンコウ包丁は、外皮をきれいにのこして捌く技。
 湯びくと、アンコウのミニチュアになった。
 こういうのを、ほんとの手練(てだれ)という。
 これ見よがしの「活け造り」なんぞは、半端なものだ。
 



*写真=上段、(上左)10年前の平潟漁港、(上右)或る日のアンコウ水揚げ、(下左から)サヨリ、ホウボウ、マダラ。
*写真=下段、(左)俎板のアンコウを捌く、(右)湯びきのアンコウ・ミニチュア。