どこゆきカウントダウンー2020ー

2020年7月24日、東京オリンピック開会のファンファーレが鳴りわたるとき…には、《3.11》震災大津波からの復興を讃える高らかな大合唱が付いていてほしい。

信じられないほどのヒトの無分別/        耐え難いほど正義に反した免田事件

-No.0190-
★2014年03月30日日曜日
★《3.11》フクシマから → 1116日
★オリンピック東京まで → 2308日




◆耐え難いほど正義に反する

 裁判官が、同じ裁判官仲間たちに向け、また刑事司法という権限に対し、同時に検察という職責に対し、これほど憤りのこもった、痛切な告発の弁は初めて…ではなかったろうか。

 DNA型鑑定の未熟は不幸の範疇かも知れないが、証拠の捏造にいたっては、肚の底からの鋭い悪寒を禁じえない。
「なんてことをするんじゃ」
 だれが、どう、この責任をとるのか、とれるのか。
 責任のとらせ方はあるのか、とらせてどうなるのか。
 なにもかも「あとのまつり」だ。
 国家は、このことにどう向き合うのか。

 袴田巌さん(78)が48年もの間、死刑の恐怖にさらされ続けた事実を、ぼくらはいま、どう受けとめたらいいのか。元ボクサーの心身はすでに衰えきっていた。
 それでも「命があってよかった」と、いうしかないのだろうか。
 (そりゃなかろうが)

 深甚な反省と至上の誠実が求められるのは、権力者たちばかりではない、ぼくたち庶民もこぞってダ。
 このような状況に逢着してなお、死刑はありか。
 (ヒトは報復のココロに哭きつづけるか)

 ヒトの思い上がり、その甚だしさをいえば。
 「ヒトがヒトの生死を裁けるのか」
 ということと。
 「自然はヒトがコントロールできるものか」
 ということとは、おなじだ。
 (後生大事のいまも、命あってのものだね)

 ヒトは、かぎりある能力のすべてを、想像力に傾けなければいけない。
 自分の身に降りかかってから初めて気づく……のでは、あまりにも悲しすぎないか。
 (ボクの胸は震えつづけてる)