どこゆきカウントダウンー2020ー

2020年7月24日、東京オリンピック開会のファンファーレが鳴りわたるとき…には、《3.11》震災大津波からの復興を讃える高らかな大合唱が付いていてほしい。

デ杯(デビスカップ)と田園コロシアム

-No.0136-
★2014年02月04日(火曜日)
★《3.11》フクシマから → 1062日
★オリンピック東京まで → 2362日

 テニスのデ杯(デビスカップ)といっても、いまの日本ではあまり存在感がない。
 田園コロシアム(世田谷区田園調布)が日本テニスのメッカだった時代も、いまはむかし。

 デビスカップは、全英・全米・全豪オープンに代表される個人戦とは別個の、国別対抗戦。
 各国4名の代表選手によって、1日目シングルス2試合、2日目ダブルス1試合、3日目シングルス2試合の計5試合を行い、先に3勝をあげた国が勝利する。
 シングルス1日目2試合と3日目2試合は、代表2選手同士の裏返しカードになることが多く、2日目のダブルスが勝負のポイントになるのだった。

 地域大会を勝ち上がった16カ国で競われるワールド・グループの1回戦で、今年初めて日本が勝ってベスト8に進んだ。対戦相手のカナダは昨年のベスト4。
 日本は、エース錦織圭がシングルスで2勝の活躍だったが、勝負としては、錦織がダブルスにも出て勝ったのが大きかった。

 現在のデ杯会場は有明コロシアムだが、最初の舞台は田園コロシアムだった。
 ぼくが観戦したのは1970年代後半の頃、選手には坂井利郎とか神和住純がいた。
 あの頃はアジア&オセアニア・ゾーンの突破すらたいへんな時代で、強豪オーストラリアが厚い壁なり、インドも手強い相手だった。

 あの頃の日本では、テニスは上流階級のスポーツ、庶民には高嶺の花、憧れの世界だった。
 同時に、田園調布という街そのものに上流の香りがあり、ぼくらがそれを、それとなく嗅ぎとるチャンスが、田園コロシアムでのデ杯戦だった。
 東急・田園調布駅からほど近いところに、田園テニス倶楽部という名門クラブがあり、田園コロシアムがそのメインスタジアムであった。

 ぼくらは陽光ふりそそぐ青空のもと、映像に夢見た本場ウィンブルドンセンターコートのふんいきを求め、いくらか気どった仕草で白球を追ったものだった。 
 その頃のテニスは、いまの炸裂する強烈なサービス・エースとは一味ちがう、ラリー・テクニックのポイントが歓声とどよめきを誘ったものだった…。

 そんなボクの青少年時代と、いまと、日本のスポーツはどこが、どれほど違ってきたのだろうか…と思う。
 その“開花の大きさ”を見れば格段のチガイを感じる反面、“根っこ”のあたりの土壌についてはさほどのチガイナイ感もある。

 メジャーに行った田中将大の、ケタ外れな高額契約にはショウジキ鼻白んだ人が多かった。
 もうじき開幕するソチ冬期オリンピックにも、われわれの思い及ばないようなところで、かなりの高額費用がかけられてもいる。

 ぼくらが、それをヨシとし、他人ごとながらウレシく思い、たとえば1個のオリンピック・メダル獲得に賭けられる高額費用と、どこまでならオリアイがつけられるのか。
 その影にたたずむ多くの人たちの無念、まだまだとても平等とはいえない環境など、パラリンピックの分野も含めて考えさせられることは多い。

 (田園コロシアムすでにいまはなく、ただ田園テニス倶楽部のみいまものこる)