どこゆきカウントダウンー2020ー

2020年7月24日、東京オリンピック開会のファンファーレが鳴りわたるとき…には、《3.11》震災大津波からの復興を讃える高らかな大合唱が付いていてほしい。

ヨコスカの“尻こすり坂”“久比里坂”

-No.0099-
★2013年12月29日日曜日
★《3.11》フクシマから → 1025日
★オリンピック東京まで → 2399日




 横須賀というのは、つくづくオモシロイ町。
 首都・東京湾口の重要な位置を占めて良港が集まり、米軍・自衛隊の基地や海運関連諸施設群を抱え、造船所もあれば渡し船もあり、“ドブ板通り”に象徴されるように町そのものが和洋混淆、“海の銀座”浦賀水道に面して観音崎の観光名所もあれば、こみいった町らしい刑務所も少年院もある。

 ブルーとクリーム、ツートン・カラーの車輛が粋でお洒落だったかつての横須賀線。外人さん・軍人さんの姿が目立つ「すかせん」の1等車(後のグリーン車)は、子ども心に、オレンジとグリーンのツートン・カラー湘南電車より格上に見えたものだった。

 そのJR横須賀線の終着駅が久里浜
 もうひとつの久里浜、“京急(京浜急行線)”の駅から線路沿いに東側、国道134号を上って行く坂がある。
 「尻こすり坂」という名が、気にかかる。
 (京浜急行線はこの坂をトンネルで潜り終着三崎口駅を目指す)

 浦賀水道“シップ・ウォッチ”を愉しみに観音崎へ通うようになってから、三浦半島の遊行にかくことのできない、この道とも縁が深まるばかり。
 通るたびに助手席のカミさんと話題になる、命名の由来について…。

 「ごらんよ」とボクはいう。
 いまでこそ、滑らかなスロープ状に造成された舗装路に圧迫感はないが、その昔、草鞋で踏みしめた頃の土の道は、もっと切羽詰まった急坂だったに違いない。
 「雨でも降った日には、おおごとだ。下りなんか足を滑らせたりすれば、そりゃ尻を擦ることにだってなるだろうからネ」
 「難儀なのは徒歩より、荷物運びでしょ」とカミさんは異説をいう。
 「荷車なんか引いて来るとサ、坂が急だもんだからウッカリすると荷車の尻を擦るの、上りだけじゃないわ、下りだってよ」

 珍名に興味を抱く人は、ほかにも少なくはないらしい。
 ネットで調べると由来が知れ、ボクたちどちらの説も間違いではないようだった。
 明治18年に新開削工事が完成するまで、この坂道は急勾配で狭い難所であったという。
 「お尻がかゆくなる」くらい急な坂、なんて説もあるそうな。

 ぼくが(オモシロイ)と思うのは、この「尻こすり坂」のすぐ近くに「久比里坂」なる地名もあることだった。いうまでもない「縊り坂」…要するに急坂の多いところなのだ。

 ふりかえって思えば浦賀水道の“シップ・ウォッチ”も、縊れ込み狭まった海の道ゆえにえられる眺望なのである。
 ヨコスカ…おもしろ、おかしな町。

*写真、(上)はさまざまな船がにぎやかに行き交う“海の銀座”浦賀水道、(下)は観音崎沖を行く日本の豪華客船「飛鳥Ⅱ」*