どこゆきカウントダウンー2020ー

2020年7月24日、東京オリンピック開会のファンファーレが鳴りわたるとき…には、《3.11》震災大津波からの復興を讃える高らかな大合唱が付いていてほしい。

東京タワー下にボクらの学び舎…

-No.0094-
★2013年12月24日(火曜日)
★《3.11》フクシマから → 1020日
★オリンピック東京まで → 2404日

*24日から26日まで2泊3日の年末休養をいただき、観音崎に行ってくる。これはその間の先払い投稿…とでもいうのだろうか*

冬季オリンピックのフィギュア・スケート代表が決まった。男子シングルの高橋はオワッタたと思われたが、3人枠にすくわれた。選考サイドは経験の少ない若手(羽生、町田)2人に、1枚ベテランをかませておきたかったのだろう。小塚君がワリをくった。男子の織田と、女子の安藤には「オツカレ」。織田君はずっと気になる存在でありつづけた。安藤さんは自分をつらぬいての涙がよかった*



 12月21日、土曜日。久し振りに東京タワーへ。
 地上から150メートルの展望台、北側の眼下には母校の校舎とグラウンドが見えた。

 東京タワーは、ぼくらが中学に入学した年1957年5月に工事が始まったのである。
 ぽっかり開いた巨大な穴から鋼鉄のどでかい脚組が立ち上がり始めたとき、ぼくらはまず度肝を抜かれた。高層ビルなどまだなかった当時、完成高333メートルという電波塔の規模がのみこめなかったのだ。

 工事は1年半というスピードで進捗し、校庭から見上げる角度がどんどん大きくなっていった。
 途中、4脚の1本の脚下でダイナマイト心中というショッキングな事件もあった。友だちの一人が近くの立木に肉片がこびり付いているのを発見、顔を蒼くしての報告に固唾を呑んだ覚えがある。
 もし、あの脚が折れていたら、オレたち学校もろともお陀仏だったな…と騒いだりもしたものだった。

 ともあれタワーが無事に完成してからは、ぼくらの学校は増上寺の寺小屋に縁の仏教校から、めでたく“東京タワー下の学び舎”になった。
  
 完成したタワーの外階段を、トレーニングがてら展望台まで駆け上がったこともある。現在もその階段は使われていたが(いまじゃとてもとても…)。






 おなじ北側の、ちょい右からはスカイツリーの景。
 2階建てになっている大展望台の、1階床には“ルックダウンウィンドウ”があり、高さ145メートルからの真下覗きは迫力というより怖気満点。高所恐怖症の尻の穴ムズムズだ。

 さらに100メートル上、地上250メートルの特別展望台へ。
 この秋に、上の機械室から落下した鉄板がゴンドラにあたり、乗客ら12名が閉じ込められるという事故があってしばらく休止していた、そのエレベーターで昇る。
 じつは、この日が運行再開の初日だったが。
 なにごともなければ、なにごともなし。

 大気もキリッと澄みきった寒い冬の日は、高みの見物に絶好。
 100メートル上ったぶん、さらに見晴らしよく開けた窓の外には、2020オリンピック競技場の集まる“東京ベイゾーン”がきれいに望め、その中心に選手村となる晴海エリア。
 なるほど、これならヨカロウ立地計画にちがいない。それにしても…。
 猪瀬さん、とんだことで開催都市知事の資格を失ったものである。





*写真、(上左)は塗装化粧直しが済んだばかりの東京タワー、(上右)は大展望台北側からの展望、直下にわが母校の校舎・グラウンドが見える、(中左)はスカイツリーの景、(中右)はお尻の穴がムズムズ…ルックダウンウィンドウ、(下)は特別展望台から東京ベイゾーンの眺め*