どこゆきカウントダウンー2020ー

2020年7月24日、東京オリンピック開会のファンファーレが鳴りわたるとき…には、《3.11》震災大津波からの復興を讃える高らかな大合唱が付いていてほしい。

“江戸しぐさ”で「お・も・て・な・し」

-No.0088-
★2013年12月18日(水曜日)
★《3.11》フクシマから → 1014日
★オリンピック東京まで → 2410日

*映画『アラビアのロレンス』の俳優、ピーター・オトゥールさんが亡くなった。「砂漠は清潔だ」のセリフはいまも記憶に鮮明、碧眼のもっとも英国人らしい役者の一人として忘れられない。みずからの白い肌を甚振られたときの、屈辱に歪み震えた彼の表情にこそ、西欧文明人の若き誇りと容赦なさが脈うっていた。81歳。冥福を祈る*

 2020東京オリンピックでは、その「お・も・て・な・し」振りに、まちがいなく世界の注目が集まることになるだろう。
 猪瀬都知事の出処進退がどうなろうと、来年2月には組織委員会を立ち上げなければならない。
 容れものよりも、中味だぜ。

 1964年(戦後復興オリンピック)のとき、押っ取り刀の大慌てぶりながら、懸命に諸外国からの来客を迎え入れた親身の「おもてなし」に、とてもおおきな好感がもたれたことを思いだす。
 その大本には「たしなみ」の心があった。
 「嗜み」には、「好み、心得、心がけ、用意、覚悟、つつしみ、遠慮」など、じつに広く細やかな気くばり心模様が綯い交ぜになって、そうしてはじめて「嗜むこと」ができた。

 「たしなみ」のマナーに“江戸しぐさ”というのがある。
 (ボクには苦手な、けれどもハッとさせられるほど心に沁みること)
 たとえばそのひとつ〈ぶつからない歩き方〉は、〈半眼〉で〈相手と目を合わせ〉て〈間をはずす〉ようにする。

 ぼくは剣道はやらず仕舞いだったが、その道の上手に極意をうかがったことがある。
 その武道の極意と“江戸しぐさ”には、相通じるものがあるのを知った。 
 〈ぶつからないで歩く〉ことは、剣道で〈相手とぶつからずに闘う〉ことに通じていた。

 剣の達人だった坂本竜馬は、京都市中で仇敵の新撰組とばったり、逃げ場を失いながら、きわどく間を外すことで剣戟を避けたといわれる。

 ぼくも極意というほどのものではないが、剣道上手を手本に真似て、道を歩いて人とぶつかることが少なかった。
 避けるのではない、目をあわせて、見つめない。
 これでいけていた…のだけれど。

 最近のスマホ人相手にはこれが通じないので、じつはマイっている。
 相手がこちらを見てくれないことには、ハナシにならない。

 関東では、スマホに熱中する人が多いのでぶつかりやすく、関西では、おしゃべりが主なのでぶつかりにくい、とか。そんな話も聞いた覚えがある。

 「見つめず」に「目をあわせる」のが、「たしなみ」の「しぐさ」。
 「お酒を召し上がりますか」と問われたら、「いただきます」でいいのだが、「はい、たしなみます」といえれば格別。
 (はなから呑兵衛のボクにはとてもムズカシイことで、また嗜むような呑み仲間たちでもナイのだが…)

 2020東京の「お・も・て・な・し」はひとつ、「たしなみ」の“江戸しぐさ”で粋たいものだと思う。