どこゆきカウントダウンー2020ー

2020年7月24日、東京オリンピック開会のファンファーレが鳴りわたるとき…には、《3.11》震災大津波からの復興を讃える高らかな大合唱が付いていてほしい。

事故後の〈フクシマ〉原発ドキュメント記事連載を続けた新聞

★2013年12月15日日曜日
★《3.11》フクシマから → 1011日
★オリンピック東京まで → 2413日

 12月2日。
 東京新聞が、原発事故〈フクシマ〉後ずっと続けてきたドキュメント連載記事が最終回(266)を迎えた。
 『ビデオは語る-福島原発緊迫の3日間』
 ドキュメントは、2011年3月12日深夜から15日午前0時まで約50時間、現場と東電本店との間にテレビ電話で交わされた緊迫のやりとりのすべて、である。

 「緊迫のやりとり」といっても、そこにはいつも、どうしようもない焦れったさが絶望的に付き纏っていた。それは、乗り越えることのできない“認識の差”というものだった。
 本店はついに、形式的にしか現場を理解しなかった。想像力も持ちあわせなかった。
 現場も、悔しいけれど仰天・動転の極にあって、意志疎通の智慧を持ちあわせなかった。

 かずかずの場面のなかには、菅首相(当時)の怒鳴り声もある。
 冷静な判断力を失った国家トップは、みずからを省みるゆとりを持ちあわせなかった。

 こんな状態に、原発があってはならない。それは、たしかなことだ。

 このドキュメント記事の連載を、ぼくは毎日、克明に読んだわけではない。
 それは気分としてデキにくい、ことだった。
 はっきりいってザッと目をとおすことが多かった。
 それでも、この連載のおかげで〈フクシマ〉への、原発への注意をつづけることができた。
 新聞記事には、“読ませる”以上に“持続する”力がもとめられる。

 新聞の宅配購読に、疑問をもって長いことやめていたのを再開することにしたとき、選んだのが東京新聞。その決め手になったのもこの連載記事だった…ことはすでに述べた。

 東京新聞の〈フクシマ〉記事は今後、週一の「福島第一の1週間」になるようだが、なお継続はされることだろう。