どこゆきカウントダウンー2020ー

2020年7月24日、東京オリンピック開会のファンファーレが鳴りわたるとき…には、《3.11》震災大津波からの復興を讃える高らかな大合唱が付いていてほしい。

旅装…フクロとカバン

★2013年12月12日(木曜日)
★《3.11》フクシマから → 1008日
★オリンピック東京まで → 2416日



*国が2020年のオリンピック開催に向けて、約800億円の交通インフラを計画…という。1964年のときには新幹線や高速道路ができて、その後の発展の足掛かりになったことはたしかだった。こんどの場合は、羽田空港の24時間発着化や成田-羽田間の高速鉄道建設などが柱になるのだろう。それはそれでいい。また、本来の大目的にくっつけたカタチで、さまざまな余禄がばらまかれる、人間のすることに完璧や無欠は望むべくもないから、1割くらいまでの予算オーバーは、まぁ、やむをえないかと思う。ただ、ときに起きるとんでもない頓珍漢や、開いた口のふさがらない利益誘導のたぐいだけは、どうか無しにしてもらいたいと切に願う、気もちが萎えてしまうから…*

 旅に手荷物。
 いかに減らすかの工夫がテーマの、無しにはできない付きもの。

 旅を身軽にしたい欲求は、生きることの重さに関わっている気がする。
 
 旅装のこと始め、手荷物は杖にもなる木の棒一本に、布1枚であったろう。
 布を結ぶと、袋になる。
 袋を背負う利便性が旅を発展させ、旅の装いとしても確立した。

 旅は袋。旅は修行。
 坊さんは頭陀袋に経巻・装具・布施物・日用品などを入れた。合切袋だ。
 また頭陀袋は、死者を葬るときその首にかけた。死もまた旅立ちだった。
 「頭陀」は露宿、食を乞う修行のことでもある。

 「袋」が「鞄」になった。
 カバンになって、デザインが凝らされ分別のポケットなどがあれこれ考案された。
 …が、要は、頭に分別ができていればフクロひとつでいいのである。
 いまも「袋」は廃れずにありつづける。

 母親をさす「お袋」は、子宮や胞衣(えな=胎児を包み守る膜)を表わすフクロからきたもの、あるいは子を抱く「ふところ」からの転ともいわれる。

 いずれにしても「お袋」は、あるときは旅を思いとどまらせ、またあるときは旅を急かせ、はたまたときには旅立ちへとふっきらせる者である。

 ぼくも、カバンはずいぶんいろいろ使い心地を試しつづけてきたけれど、いま手もとにのこる一つは、やっぱり頭陀袋ふうのやつだ。