どこゆきカウントダウンー2020ー

2020年7月24日、東京オリンピック開会のファンファーレが鳴りわたるとき…には、《3.11》震災大津波からの復興を讃える高らかな大合唱が付いていてほしい。

「ぽっちゃり」と「おでぶちゃん」のチガイ

★2013年12月10日(火曜日)
★《3.11》フクシマから → 1006日
★オリンピック東京まで → 2420日



*猪瀬東京都知事の、背広の肩に滴り落ちる冷や汗、無惨。「生活に不安があって借りた」5000万円に足もとを掬われ、あわてて「年間給与の全額返上」を言いだすにいたっては、哀れみを誘われる。自信をもっていた立場がグラッと、脈絡を失った途端に頭の硬直した態は、知識階級の脆弱さの現れ。ぜんぜん地に足が着いていない*
*オリンピック招致に成功し、満面笑みくずれていたときの顔がいま、ひきつってしまっている。「この人がはたして2020年のオリンピック開会式まで現職でいられるかどうか…」と、あのとき想ったことを思いだす。それにしても早すぎるな。あのとき一緒だった安倍総理のほうも、いま支持率急降下中。この人も、良くも悪くも知識階級の政治家。不調で辞任の前歴もある…*

 ふと(つまならいこと)に気もちが引っ掛る、ことがある。
 ある日の朝刊、文化欄の「ぽっちゃり系」という見出しに目がとまり、記事に添えられた写真を見ると(まてよ、デブじゃんか)であった。

 感じた途端に、記事の内容どこへやら。
 「ぽっちゃりvsでぶ」にまっしぐら。

 さっそく知友に感想をもとめたところ、二人は「でぶ」に同意。
 もう一人が「感情の向き…じゃないかな」と、とりなし顔。
 「デブって、けなし言葉ですよね。ポッチャリは、お世辞でしょ」
 
 フム…なるほど、たしかに一理ある。だが…しかし。
 それとは別の厳然とした価値判断として、やっぱり「でぶ」と「ぽっちゃり」は違うのだ。

 「でぶ」がいけるのは「おデブちゃん」までで、「ぽっちゃり」にはけっしてなれず、いっぽう「ぽっちゃり」は油断すれば即「でぶ」に堕ちる、危機意識に支えられた「かわいさ」である。

 ちなみに、辞書をひもとけば…。
 「でぶ」は、「肥えていること、また、その人をあざけって言う語」。
 〈肥えている〉に尽きる。
 「ぽっちゃり」は、「女性などの顔や手足の肉づきがよくて、小さく丸く太って愛らしく見えるさま」。
 キーワードは〈肉づきがよく〉て〈愛らしい〉。

 つまるところ、肉づきに愛らしさがあるかどうか、緩みがあるかないか、にかかっている。
 重量の問題ではないが、重さを意識させるかどうかは、判定基準になるであろう。

 「小太り」というのもある。
 太ってはいるが肥えるまでにはいたっていない、「ぽっちゃり」に近いといえる。
 「固太り」は、筋肉の緊りに支えられて肥えてはいないが、「ぽっちゃり」の愛らしさとは一線を画している。

 山岳用語に「でぶり」というのがある。
 デブリは、フランス語の原意は「破片」だけれども、山では「なだれ落ち積った雪塊や氷塊」を指す。けっして美しいものではない、愛らしくもない。

 「でぶ」とは無関係だが、ぼくの連想では「でぶり」も仲良し、ついてくる。
 友だちの“山や”に、このデブリに痛く感じ入ってしまった男がいて、いまは亡き彼の奥さんは細っそり美人であった。

 それだけのことである。他意はない…。 

*写真(イメージ)は、岐阜県高山市宗猷寺の布袋尊石像*