どこゆきカウントダウンー2020ー

2020年7月24日、東京オリンピック開会のファンファーレが鳴りわたるとき…には、《3.11》震災大津波からの復興を讃える高らかな大合唱が付いていてほしい。

〇〇△…☓〇△…△〇△

★2013年12月02日(月曜日)
★《3.11》フクシマから →  998日
★オリンピック東京まで → 2426日

 “健康長寿”日本一の長野県、諏訪中央病院の名誉院長で、チェルノブイリやイラク救援活動でも知られた鎌田實さんの『〇に近い△を生きる』(サブタイトル-「正論」や「正解」にだまされるな-)を読んだ。

 ボクは元来が素直でない(つまりヒネクレている)から、「人生の歩み方」みたいに教え導こうとたくらむたぐいの本には警戒感が人一倍つよい。
 だから、これまでのボクならきっと、けっして手にすることのなかった本。それを(読んでみようか)気分にさせたのはタイトル。書名に魅かれた。
 「〇に近い△」…うまいなと思う。ただ、ボクなら「…を生きる」とはしない、付けるなら頭に「ぼくは…」としたろう。ウレナイかな。
 (でも、実際に鎌田さん自身が別解の人、達人なのである)


 とまれ、いまのニッポンの現実は「〇(正しい)か☓(間違い)か」、つまるところ「勝ちか負けか」だ。「そのほか」とか「例外」とかを認めたがらない。しばらく前まで「あいまいな日本人」と評され、グレー・ゾーンみたいに思われていたことへの反撥か…どうかは知らないが。
 「個性を」といいながら「枠に」納めたがる。

 ボクも、そういう教育をされて育った。(オカシイじゃん)と思いながら、いつのまにか「〇(正解)か☓(誤解)か」の対決ムード、受験戦争に呑まれていった。
 全共闘世代の一人としていまボクが思うのは、あの頃のボクたちには対決の構図しかなく、つまりは堅苦しかったんだナ、ということ。
 それがわかっていながら、なお「〇か☓か」で解決しようとしてきた、「△なんか論外」だったことに気づく。

 原発のこと、改憲のこと、その他もろもろのこと。
 「〇か☓か」のガチンコ対決では、解決しないし、実りもない。

 鎌田さんは、そこで「〇に近い△を」という、「正解に近い別解を」求めようじゃないか、と…。
 (そうなんだよネ)と、素直でないぼくもスナオにそう思った。
 そうして鎌田さんは実際に、医療福祉の場面でそれを実現してきた人である。ハンパじゃないのだ。

 「別解」については、ぼくにも想い出がある。
 学校でテストがあると、元来が素直でないボクは、〈やさしすぎる正解〉や〈わからない正解〉には、別解をこころみた。結果は、〈わからない正解〉に対しての別解は△(半分)評点で理解されたことがあったけれど、〈やさしすぎる正解〉に対する別解はついに許されることがなかった。生意気をいわずに正解せよ、ということらしかった。たしかにボクはナマイキだ、いまも。
 別解へのアプローチは仕事でもつづけ、ときたま「ヤッタね」があったけれども、けっこうシンドイことだった。

 「変な人」を認めようと、みずから「変な人」と認める鎌田さんはいう。
 ボクもまた「変な人」に違いないから、その通りだと思う。
 よく事件報道などで容疑者についていわれる「ふつうの人」みたいな見方は、じつはナニも見ていない、「ふつうの人」なんかじつは一人もいない、だから認めるもなにもない、のだが。

 読後の感想。
 自分を見つめ直すのに、ありがとういい本でした。
 でも、あえてひとつだけ異論がありマス。
 鎌田さんは「〇に近い△を見つけるのは簡単」といいますが、なかなか……。