どこゆきカウントダウンー2020ー

2020年7月24日、東京オリンピック開会のファンファーレが鳴りわたるとき…には、《3.11》震災大津波からの復興を讃える高らかな大合唱が付いていてほしい。

じぶんがなっとくできること

★2013年11月29日(金曜日)
★《3.11》フクシマから →  995日
★オリンピック東京まで → 2429日

 「ドラマチック」という言葉に違和感を覚えつつも、(こんなにドラマチックなことがあるものだろうか)と思った。

 60年後の裁判で「別の子と取り違えられていた」ことがハッキリした男性の話。
 ぼくは、バカみたいに、ただただ茫然となるしかなかった。
 (そんなぁ……)
 事実を受け容れることができなかったのは、あたりまえにすぎる。
 「別人と入れ替わっていた人生」の理不尽を、だ。
 だれに…どこに向かって叫べ、というのか。

 病院で、わずか13分差で産声をあげた二人の男の子が、分娩室でのアレコレの間に取り違えられ、(足の裏にはそれぞれの母親の名が書かれていたというのに…なぜだろう)あきらかな違和感の訴えもないままに、クルッとすり替わったままに、人生が始まり、そうしてどんどん進んで行ってしまったというのだ。
 
 おおいに、ありそうなことだね、人間には…。
 …では、すまされないことだけに、ボウゼンとなる。

 片や裕福で教育熱心な両親と、片や生活苦を抱えた家庭。大学進学がふつうの家庭環境にあったはずの人が、やっとの思いで定時制高校を操業すると就職、そのあとも流れのまま…。

 とんでもない間違いがあったことに気づいた結果の、賠償金が3800万円(そりゃナイでしょ)。
 救いは、その後、この人とその周囲に賢明な対処がなされているらしいこと。だけれども、これはボウゼンとなったボクにとっての救いにすぎず、この理不尽にさらされた人にとっての救いには、ついに至ることはないだろう…。

 必要なのは、最低限(本人が納得できることだろうな)と思う。
 それには、なんたってまず、教育の平等。
 これなしに、その先の比較は許されない、と思う。
 ボクには最近、そのことがつよく思われる。

 ナットクできるシャカイなら、差はあってもやむをえない。