どこゆきカウントダウンー2020ー

2020年7月24日、東京オリンピック開会のファンファーレが鳴りわたるとき…には、《3.11》震災大津波からの復興を讃える高らかな大合唱が付いていてほしい。

爪の再生とリンゴのほっぺ

★2013年11月23日(土曜日、勤労感謝の日
★《3.11》フクシマから →  989日
★オリンピック東京まで → 2435日



 勤労に感謝する日。
 ヒトが人の生息を真摯に想うなら、深甚な感謝を捧げる勤労者は細胞だろう。
 ヒトの場合、体重1kgあたりの細胞数はざっと1兆個ほどだそうだから、70kgのぼくは70兆個の細胞で支えられている…思えば目頭あつくなる。
 その細胞のひとつひとつが、日々生まれ変わり再生していく。

 ハンマーで、したたかに人さし指を叩いてしまったことがある。
 黒紫に内出血した爪の根元は、冷やしても冷やしてもジンジン脈拍とともに痛んだ。
 しかし、なんということだろう…しばらくすると黒紫の内出血を抱え込んだまま爪は伸び始め、いや新しい爪が生え始め、傷んで廃物になったらしい古爪をゆっくり押し上げながら、その新しい爪は脱皮したばかりの甲殻類の殻さながらにブヨブヨしていた。
 そうして日を追うごとに黒紫の爪は上へ上へと移動し、ある日ポロッと抜け落ちると、新しい爪が生まれたばかりの赤ん坊そのままに、まどろんでいたではないか。

 子どものころ、捕まえた…と思ったトカゲが指先から逃げ、後にぴくぴく動く尻尾が気味わるくのこっていたのを、その感触をボクは忘れることができない。
 人間にはできない芸当を識った。タコやイカなどは失った腕(足)を再生できるが、人間にはできないことが肝に銘じられた。

 でも、ほんとうは人間にもできる範囲での再生能力はあるのだ、というウレシイ事実。それをしみじみと実感させてくれたのが、この爪の再生(というか生成継続というか)だった。
 
 じつは、カミさんの爪がいま、まさに黒紫からの再生を再現しつつある。
 その原因もやっぱりボクにあり、こんどはハンマーでなく車のドアという違いだけだった。

 そんな近ごろ…。
 親しい方から、いつものようにリンゴが届いた。
 りっぱな、おおきな、みごとな果実に、ぼくは気圧される思いだ。

 なぜかといえば、ぼくが子どものころに食べ親しんだリンゴは「紅玉」という小粒な品種で、甘さより酸味のややかった、丸かじりが似あう瑞々しいものだった。
 ついでにいえば「焼リンゴ」にはいまでもこれがいちばん。だから隠れたファンは少なくない。
 元気な幼な児の「紅いほっぺ」という、かわいらしさにぴったりのリンゴも「紅玉」である。

 いまの、大きくて立派で甘みもしっかりしたリンゴに、品種改良や品質向上の努力を想う…そのいっぽうでボクは、だんだんにリンゴを食べることが少なくなってもいるのだった。
 それはきっと、ほとばしるような瑞々しさがものたりないからだと思う。

 メタボリックというのが、近ごろの野菜や果物にもあるように、ぼくには感じられてならない。

 ヒトの肥満は「細胞が増えるのではなく、細胞に脂肪が溜まる」ことでおきるという。
 肝臓の70%を切除しても1週間ほどで再生する…人の、しかし神経・骨格・心筋の細胞には再生能力がないともいう。

 これらのことを、リンゴにあてはめようというつもりはない。
 ただ、そんなふうに連想された…というにすぎない。

*写真は、贈られてきた立派なリンゴ…段ボール箱入り、木のリンゴ箱も昔語りになった*